韓国 -水原華城(スウォンファソン)-

蒼龍門

水原(スウォン)という地名で想起されるのは、朝鮮半島に518年間もの長きに亘って続いた専制主義王朝国家である李朝(李氏朝鮮)の末期に遷都計画がもちあがった場所であること、朝鮮戦争でソウルが陥落した時に遷都されたこと、最近では2002年のFIFAワールドカップの会場となった水原ワールドカップ競技場があること、などであろう。
水原華城は、李朝第22代正祖大王が、当時の漢陽(今のソウル)からの遷都を計画し、1794年1月に着工して約3年後の1796年9月に完成した。しかし、完成直後に正祖大王が崩ぜられたため、遷都計画は中止されたとされる。

水原華城

手許の資料によると、その城郭の全体の長さは約5.7Kmあり、歩いてめぐるとなると数時間はかかるとのことである。時間の都合上(?)、東側の東将台・東北空心蠅ゥ・東北弩台・蒼龍門の4ヶ所の観光となった。ちなみに、筆者は未見であるが、築城に関する全ての記録が、『華城城役儀軌』という書物にそのまま遺されているということであり、建築実名制というものが実施された世界で最初の建築物でもあるそうである。
この城の構造は、かつての宗主国、中国のような城郭構造であり、当時は街を取り囲んで造られていた、とのことである。「中国では、古来、都市全体を城壁で囲むのが普通である。まさしく城郭都市の呼称がふさわしい構造をもつ。……西アジアやヨーロッパでも、普通に見られる歴史的景観であり、むしろ日本が例外と言ってよい」(愛宕元著『中国の城郭都市』中公新書1014,中央公論社,1991より抜粋)とあるように、いわゆる日本にあるような独立した城ではなく、城郭都市なのであって、これは首都であるソウルにおいても、現在では南大門のような門のみが見られるが、昔は城壁に囲まれていたとのことである。
これらの場所を見た限りのことであるが、想像よりもずっと綺麗である。確かここは朝鮮戦争の被災によって崩壊状態であったのを、1975年から1979年にかけて修復されたとのことであった。
そのような水原華城の中で、筆者が特に興味を覚えたのは、東門にあたる蒼龍門である。何と言っても、東方に蒼龍の門、屋根を見ると、上には…龍?! なるほど、これは五行で五方の「東」に相当する五虫が「鱗虫」であることから龍なのかな、と思い、現地ガイドさんに他の方角の門の上にあるものを聞いてみると、「すべての門の上にあるのは龍」とのことであった。それならば、五龍の「蒼龍」なのか、などと色々考え直しているのではあるが、未だに釈然とせず、明快な回答を持ち得ていない。そこで、もし本当のところをご存じの方が居られたら、ご教示いただきたく思っている次第です。

マンホールにも水原華城