琵琶湖に浮かぶ近江八景の一つ「堅田の落雁」として有名な浮御堂。
琵琶湖大橋から近い堅田の町にあるこの御堂は、実は臨済宗大徳寺派の海門山満月寺という禅寺であるのをご存じだろうか。
もとは約千年以上前の長徳年間に、比叡山の恵心僧都が、琵琶湖の湖上交通の安全と衆生済度を発願し、一千体の阿弥陀仏を刻んで、湖上に堂宇を建てたことに始まるという。
歴史を経て、現在の浮御堂は昭和12年に再建されたもので、内部には阿弥陀仏一千体が安置されている。西方極楽浄土におわす阿弥陀如来であるから、浮御堂正面は比叡の山を背にして、琵琶湖、つまり東に向かって建っているのである。
近年、夏期の琵琶湖の渇水に見舞われると、浮いていない浮御堂になってしまうが、今は湖水も豊富で、鴨やかいつぶりなど水鳥が水面に漂っていた。
境内には芭蕉をはじめ、いくつかの歌人の句碑がある。ほかにも一茶、広重、北斎等の詩歌や絵画も残されており、一休禅師や蓮如上人も立ち寄られた名所である。
さて、この浮御堂から数百メートル離れたところに、同じく大徳寺派の末寺である祥瑞寺がある。
ここは、かの一休禅師が華叟宗曇禅師のもとで小僧時代に修行をした寺として有名である。
残念なことに境内の苔の多くは赤く焼けてしまっていたが、椿の花が美しく咲いていた。
禅文化研究所の元所長であり、松島瑞巌寺の前住職である、故・平野宗浄老師は、瑞巌寺に上がられる前にこの祥瑞寺に住しておられた。私が子供の頃、父に連れられてこの祥瑞寺にお邪魔したのは、その頃である。
鬼籍に入られてもう五年にもなろうか。境内にいると、老師の声が聞こえてきたような気がした。