友と酒を酌み交わし語り合う・・・。このイメージにはやはり日本酒でしょうか。
私が大学生の頃に拝見してとても印象的で引き込まれた一枚の写真。
青山次郎氏と小林秀雄氏が骨董屋“壺中居”にて、盃や徳利を見てなにやら語り合っている写真です。あまりに有名な写真ですから、すぐに「あれね!」と浮かぶ方も多いのではないでしょうか(こちらに掲載できませんので、ネットで検索してみてください。すぐに出てきます)。
何もわからぬ(今もですが)若い頃の私も、さすがにこの写真は見た瞬間に「かっこいい・・・」と思ったものです。
その後、白洲正子さんの本などを読み、「なんとも酒器をわかるようになるには、肝臓を壊すくらいに呑まねばならぬのか。当代随一の目利きと言われたような人々でもそうなのだから、これはどうしたものだろう・・・」などと思ったものでした。
そんな私も今や、有難き御縁を頂戴し、研究所の取材でも何度もお世話になり、福森雅武先生の周りに集う面白き方々の末端に加わり、酒酌み交わし語り合う事もしばしば。そこには言いようの無い悦びがあります。
私は大使館や社交界のつき合いにあきあきしているどころか、そんなものはありもしませんが、白洲正子さんの「鶴川日記」を思い出します。
中でも、小林秀雄さんや青山二郎さんの話は面白く、河上さんが一緒に飲みに行くのがうらやましくてならなかった。何がうらやましいかといえば、男同士の赤裸々なつき合いぶりが、そういうことと縁のない環境に育った私には、うらやましいというより焼餅がやけた。
大使館や社交界のつき合いにあきあきしていた私は、そこに新しい世界が開けることを夢に見た。思い出してみれば、私は途方もない理想家であり、世間見ずの子供にすぎなかった。が、文壇人と会う機会はなかなか来ず、つづり方の勉強でもするように、ものを書いては河上さんに見て頂き、憂さを晴らしていた。
河上さんは、名だたる酒豪である。その飲みっぷりのすさまじさには、舌を巻くばかりであった。まだ銀座の裏通りや新宿に闇酒を飲ませてくれる家があり、お供をするのはよかったが、帰りが事だった。
そのころの小田急は、自分で扉をあけるようになっており、こわれてあけっ放しになっている場合もある。酔っぱらった河上さんは、そこから身を乗り出し、夜空に向かって何事か大声でわめく。私は必死になって、後ろからしがみつき、新宿から鶴川までがんばり通したこともある。
これも修行の一つと、歯を食いしばっていたのだから、滑稽というほかはない。もとより、泥酔しなくては堪えられない文士の辛さなど、当時の私にはわかるはずもなかった。
と、長くなりましたが、福森先生やその他日本を代表する陶芸家とその薫陶を受けた弟子による酒器の展覧会が、京都やまほんさんで開催中ですので、今日はそのご案内だったのでした。面白いのでおでかけになってみてください。
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