「歌から立ち上がる生の気配」

霊鑑寺の椿_衣笠

北冬舎発刊の『北冬』に掲載された、06年6月発刊の、『生のうた 死のうた』の書評をご紹介したい。
「歌から立ち上がる生の気配」
 「短歌は短い詩型であるが、多くの言葉を連ねるよりも深く、あるいは鋭く、生命世界が暗示されることがある。」と「あとがき」にある。世に短歌鑑賞の本や歌人論は多いが、佐伯の『生のうた死のうた』は、たとえば風俗や装飾、遊びでなく、一途に歌を通して、歌人の生の核心に向かおうとする。
 斎藤史、岡本かの子、相良宏、上田三四二、河野愛子、中城ふみ子、岸上大作ら物故歌人を中心に取り上げられた三十五人のなかには、保田典子(保田與重郎の妻)、尾崎翠、多田智満子、田山花袋といった人々が含まれているのも興味深いが、何より、歌が鋭く生と死に切り結び、歌の向こうに歌人の生の気配が濃厚に立ち上がってくるのがじつにドラマチックで、そして豊かなのだ。
 短歌の鑑賞とは、文法を説明したり、短歌史的な見晴らしをもって位置づけることだけではない。もちろん、そういうことを多くの場合前提としているが、一首の歌、一片の言葉に、人間の生の気配を直感し、想像する力、そちらの方が本質的なのだろう。本書の豊かさは、著者のそういう能力と人間への興味と敬意に由来しているのではないか。


  たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂に生(うま)れて我は居るべし 斎藤茂吉
 茂吉には、このような「砂」「塵」「埃」など「微細なものの運動に潜む悲しみ」をうたった作品が全作品の「通底奏音」のようにしばしばあらわれるという。そこに茂吉の「大きな抑圧への反動」があり、「自己のアイデンティティを「故郷」に打ち立てよう」とするあまり、もう一方の都市や妻などをうたい、その内部に届こうとしなかったのではないか、という。たとえば、こういう人間の闇への想像力が豊かなのだ。
 窪田空穂の項では、由比ヶ浜で一九〇一年新世紀を迎える野火を焚いた与謝野鉄幹と「明星」の集まりに、「ねそびれて不参」であった空穂の心を「百年なんて一瞬のうちだ」という思いとともに想像する。「空穂は、何となく行きたくなくて寝坊したのだろう」。こういう感想も楽しく、大いに同感だ。
 また、本書では、かつでの歌を論じながら、現代のさまざまな問題がたびたび思われているのも印象的だった。
  美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢い重ねしことも 岸上大作
 佐伯はこの岸上の歌を、近所で起こったストーカー殺人のことから語りだす。かつての「片恋青年」と現代のストーカーの違いを「失意の刃を自分に向けていく力の有無にあるのではないか」と書きつつ、「執着の強い、衝動を抑えられない、むきだしの青年」だった岸上、そのような「「デタラメ」な、わけのわからない若い魂」が「まっとうされ」た時代が失われ、「デタラメで悲しくて、ぶざまでおかしな人間の、真率の思いが失われていく」時代を思っている。
 あるいは、「光放つ神に守られもろともにあはれひとつの息を息づく」という斎藤茂吉・永井ふさ子合作の歌に、「眼もくらむばかりに官能的で、妬ましいほどの力」を感じ、ニューヨーク同時多発テロ以降、「何下なく見ていた日々の風景が、自分でもおやと思うほど違って感じられる」にも関わらず、たとえばこの歌の官能の力、そしてその「官能世界を思う感受性が、九・一一のテロによっても侵食されなかった不思議を思うばかりだ」という。
 そう、人間がその「デタラメ」さや奇矯さ、そうした一般的には負に分類される「むきだし」の人間性を「まっとう」するのが、岸上の言葉であり、歌だったのだ。そして、ストーカーという言葉ができて、「「デタラメ」な、わけのわからない若い魂」が「まっとう」されがたい時代になったが、それはまた「失意の刃を自分に向けていく力」そのものとしての言葉の喪失を意味しているのかもしれない、と佐伯の指摘は気づかせる。あるいは、九・一一以前以後の衝撃的な世界の断絶を、「歌の官能の力」とそれを思う自分の感受性が越えていることについて、佐伯は驚きつつ確認している。
 現代に思いをはせる二つの文章は、現代という未曾有の時代に、短歌に願うものを、ぎりぎりの、そして重たい大切な可能性とともに語っているのだ。
 佐伯の眼は、女流歌人の歌にいっそうの共感と熱い荷担の情を示す。必ず時代とともにあった人生の厚みをしっかり手に測り、各々の人生の理に敬意と悲しみをもって添おうとする姿勢に貫かれていて、それが歌人の理解や短歌の読みを鋭くしているのだ。
 たとえば、「萩の舎」で樋口一葉を指導した中島歌子。幕末、水戸藩士と結婚し、自身も投獄処分を受けるなど、「開国前夜を闘い抜いた男たちの血しぶきを浴びた果てに、」「醒めた眼差しを持つようになった」歌子の視線が、一葉という「作家の視線を用意する」として、その連続性を指摘するのも鋭い。あるいは、富小路禎子について、「もっと深く、その旧く懐かしい「家柄」の思いを表してみてもよかった」と戦後民主主義のなかで、それを「無防備に」うたい得なかった歌人を思いやり、歌人の「心に潜んでいた固まり」とは「ついに納得のいかない戦後的な価値観と社会だったのでは」と指摘する・
 この富小路や九条武子についての鑑賞では、佐伯自身が体験的に知っている戦後民主主義的世界とそれ以前の世界の分裂ないし葛藤のことも思われたのである。[米川 千嘉子]