毎月28日には、大徳寺のいくつかの塔頭で表千家の釜が掛かります(大寄せといって、誰でも参加できるお茶会があるのです)。先日もお邪魔して参りました。
若かりし頃より、28日が仕事休みの土日と重なればなるべく行くようにし、色々と学ばせていただいております。
この日はほぼ表千家のお席で、私が稽古している流派の先生方が釜を掛けられるわけなのですが、これまでに様々な流派のお茶会を経験してきて思うのです。
皆、茶の湯の稽古をする者は、どちらかの流派に属して点前を習っており、稽古を続けているのですから、恐らくはその流派が好きなのだと思うのです。もちろん私も、好きだからこそ続いています。
ただ、長く続けてきて、これこそほんとうの学びなのだろうな……と思いますのは、「結局は流派は関係なく、お茶をするその人自身がどうであるか…というところが一番大切なのだ」という事に気づいた事であります。
お茶を習おうとする方に、「どの流派がいいだろう?」と相談されると、昔は「そりゃあ表千家です」と答えたものですが、今は「私は表千家が好きだけれど、結局はどの流派であれ、師事する先生によると思う」と答えています。
これは、宗教でも同じなのだろうなぁ…などと考えています。
ただ、好みや、合う合わないは確かにあるわけで、私はやはり禅宗が好きだなと思っています。