先日、仕事で東福寺を訪れた。
帰りに山内を少し案内していただき、とある扁額が気にかかり眺めていた。
無價室
東福寺の歴代の管長様はこの室号と決まっているらしい。
ただ最近では、通常は違う室号をお使いとの事。
墨跡で、無價室という号が書かれているものに遭遇すれば、それは東福寺管長のものという事になる。
さて、それはさておき、「無」ということばについてだが・・・。
そのまま世間一般の意味でとると、無價(價は価の旧字)は「価値のない・・・」となる。
が、禅の世界では「無」となると、無限大、他に比ぶるもの無し・・・といった意味となる。
他に値するものの無いほどにすごい!>無價
「無学」ならば、もう学ぶものは無いと言ってもいいくらいの境地。また、もはや修行は必要ないほどの修行を達成した意味となる。お寺へ行って、「無学なもので・・・」とはナンセンスなのだ。気をつけたい。
(N.K Wrote)