来年は臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師がお亡くなりになられて1150年という節目の年(1150年遠諱・おんき)です。
遠諱を記念した行事が色々と開催されておりますが(詳しくはこちら)、大本山南禅寺さんでは、南禅寺発祥の地・南禅院にて、毎月一回、臨済録の提唱をなさっています。
今回は総長さん(本山において、管長さんが法の上の、思想上のトップであり、総長さんは事務方のトップのお坊さんとでもいいましょうか…)がお話しくださいました。
臨済録の中でも有名な、「途中に在って、家舎を離れず。家舎を離れて、途中に在らず」。“家舎”を般若心経の境地、“途中”を観音経にたとえてお話くださいました。
私の中でまだ整理できていないのですが、非常に興味深い内容、とらえ方で、反芻してみているところです。
*ネットで検索すると、この箇所の色々な解釈が出て参ります。是非お探しになってみてください。
さらに、これも臨済録にあります「随所に主となれば立処皆真なり」より、人生における避けてはゆけない大変な事。それによって得た縁を最大に生かして、生かしきって、自身がその中で主となって生きた時、活貎第ス葬n(かっぱっぱっち)、自在な心で生きる事ができるのだという事をお話しになられました。
私自身、「これはもうどうしようもない」と思えるような大変な事が起きた時に、避ける事すらできず、今になるとどうしてあの時を乗り切れたのかわからないような事がありましたが、その時に得た様々な縁というものこそ、今に繋がり、自分自身の糧となっていると確信しています。
「大変な事によって得た縁」という考え方は全くした事が無く、目の覚める思いでした。大変な時に得る縁というのは、人生の宝となるのでしょう。
いつぞや、大学のゼミ教授が教えてくれた、中川宋淵老師(三島・龍澤僧堂師家 1907-1984)のお言葉「人生とは、因縁因果の大展開、大活動である!」を思い出し、教えていただいた当初よりも少しはわかってきた気がしたものでした。
来月は12月13日(日)の9時から、南禅院にて。ご参集ください。