千利休の月命日の11月28日(土)。大徳寺のいくつかの塔頭にて釜が掛けられますので、久々にでかけてみました。
11月は、炉開きで茶室のしつらえも新たに、火が客の方へと近づき、さらに半年間茶壺でねかせたお茶の口切りがある季節。
茶人の正月とも言われるおめでたい月であります。
道具もどこかしらその喜びを表す物が並び、風炉の季節の軽やかさとはまた違った重厚感があり、「あぁ、いよいよ茶の湯の本格的な季節の訪れだ…」などと思うわけです。
本格的も何も、年がら年中稽古もしていますし、日本にはそれぞれに素晴らしい趣きある四季が存在し、その四季とともに育まれた奥深い日本の文化である茶の湯。常に自身と向き合うような道なのでありますが…。
太陽の出ている時間も少なくなってゆき、なんとなく自身の内と向き合うような季節。
さらに炉になりますと、風炉の時とは釜の位置が随分かわり、重心が変化し、自然と丹田に力が宿るような坐り方になるからでしょうか。習い始めてからずっと、一年中、いつも茶の湯が楽しく大好きで仕方がないのですが、炉の季節を迎えて最初の点前の時、必ず毎年「あぁ、やはり炉の点前は良いものだなぁ……」としみじみ思っているのです。
と、月釜の事を忘れていました。主のもてなしにはじまり、訪れる茶人達(客)の心構えまで、様々な人を先生とし、ほんとうに色々と学べる機会なのです。炉の季節の喜びを主客共に味わい、新旧の道具のバランスの絶妙な趣きに感嘆し、味わいつくして大徳寺を後にしました。