京都駅での法話と椅子坐禅のご報告

先だってこのブログでもお知らせしたとおり、京都駅ビルの「京都茶寮」にて、“「禅」文化講座”が二回に渡って開催されました。これは京都駅ビルの南北連絡通路にあるインフォメーション前のスペースで行なわれている「京都美風 COOL 禅 ~ ZEN ~」にあわせて開催したものです。
両方とも20名限定の予約制でしたが、満席となって、好評のうちに修了することができました。

第一回目(4月13日)は、新山玄宗師(臨済宗妙心寺派高等布教師・妙心寺派常任布教師・愛媛県大洲市福成寺住職)による法話「臨済栽松(りんざいさいしょう)」と椅子坐禅でした。

「臨済栽松」という話は、臨済禅師が松を栽えていると、師の黄檗禅師が「こんな山奥にそのような松を栽えて、いったいどうするつもりか」と尋ねたところ、臨済は「一つには寺の風致を整えるため、そして二つには後世の人のしるべとするためです」と答えたという逸話です。そのことをかみ砕いてお話しになりました。また、松に因んだ禅語などについてもお話し頂きました。
それから、坐禅の方法と実践についてもお話しいただき、短い時間でしたが、参加者にも椅子に座ったままでの坐禅を体験して貰いました。

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第二回目(4月20日)は、雲林院宗碩師(臨済宗連合各派布教師・建仁寺塔頭霊源院住職)による法話「臨済禅師・白隠禅師の伝えたかったこと」と椅子坐禅でした。

20160422-1.jpgまず最初に椅子坐禅の体験をしていただいたあと、雲林院師は、坐禅をして修行したら何がわかるのかについて話されました。自分は弱いのだということを知ることができると話されました。熊本でまだ頻発している大地震や東北の地震で被災して亡くなられた人、いろんな事故や世界で起きているテロで思いがけず命を落とされた人、その人達を何ら救うことさえできない弱い自分。そして、なんの保証もないこの自分自身の命。人ごとではなく自分もこのあとすぐ死んでしまうかもしれない。毎晩眠るとき、明日の朝は来ないかもしれない。御飯を食べるとき、これが最後の食事かもしれないと思って生きようと話されました。

どちらの会も、法話や椅子坐禅の後、講師や開催スタッフである私も一緒にお弁当をいただき、参加者から出る質問に答えたりしながら、短い時間ではありましたが、ともに真摯な時間を過ごさせて頂きました。

「COOL 禅~ZEN~」パネル展は4 月27 日(水)まで。どうぞ京都駅をご利用の際には、お立ち寄り下さい。