ソウル中央部に位置する李氏朝鮮の王宮である。1392年に朝鮮王朝を開いた李成桂は漢城(ソウル)を都と定め、宮殿として景福宮を造営した。ソウルには徳寿宮、昌慶宮、昌徳宮、慶熙宮など、いくつかの宮殿遺構が存在するが、その中でも景福宮は正宮と位置づけられるものである。現在の建物は、王朝末期に国王(高宗)の父であった大院君が王権強化のために再建させたものである。
1910年の日韓併合後、正門である光化門が撤去されることとなったが、「失はれんとする一朝鮮建築の為に」という一文を著して救ったのが民芸運動の創始者として知られる柳宗悦であった。こうして光化門は移築保存されることとなったが、王宮の正殿である勤政殿は朝鮮総督府に前面を塞がれるかたちとなり、その他の多くの建物も撤去された。
近年、植民地支配の象徴だった朝鮮総督府の建物も撤去され、視界は良好となった。玄武の位置に相当する北岳山もよく見える。各所で復元工事が進行していて、往時の偉容を甦らせるのも間近であると感じた。
景福宮の正殿である勤政殿
公的な宴会が開かれた慶会楼