佛通寺派前管長の鈴木法音老師が、今年2月17日に、療養先の岐阜県羽島にて世壽73にて遷化されました。
老師は佛通寺管長に上がられるまえ、滋賀県の安土城址にある摠見寺の住職をされておられましたので、摠見寺の第16世でもあるため、去る6月2日に摠見寺にて津送と新忌斎が執り行われました。
摠見寺の開基である織田信長公の命日として行なわれている信長忌が毎年6月2日に勤められていて、今年はそこにあわせて法音老師の津送も勤修されたというわけです。
まず開山・圓鑑禅師と開基・大相国一品泰巌大居士(信長公)の毎歳忌が執り行われ、現住職が導師として大悲呪一巻をお唱えしました。
つづいて速やかに津送。
導師は、法音老師の前にこの摠見寺の住職であった、妙心僧堂師家・岫雲軒雪丸令敏老師です。法音老師は妙心僧堂で長らく修行をされていたこともあり、この摠見寺も非常に妙心僧堂と縁の深い寺ですので、妙心僧堂林下の尊宿方も多く参列され、また、大本山佛通寺総長を始め、佛通寺関係の諸大徳、滋賀北陸教区第二部の部内寺院、晩年に療養のために住まわれていた岐阜の如意寺の関係寺院をはじめ、老師の妹さま、摠見寺有縁の方々も多く参列されました。
鼓鉢三通が打ち鳴らされ、山頭念誦、そして岫雲軒老師による引導法語が唱えられました。
岫雲軒老師の引導法語は以下の通りでした。
博識多才道眼明
高談雄辯愛論争
半生闘病身魂盡
七十余年擲世情
夫惟
歴住佛通空外音禪師大和尚
色身病弱 法身俊英
神宮寺裡 師事勇音學儀式
金毛窟中 参禪臥雲入法城
什麼時
一擧一動空外出
一言一句法音轟
源流入深處 世俗離利名
摠見住持 日夜勵度生
佛通薫陶 終始盡法戦
末後
看護如意 如意自在貫至誠
雖然與麼
山僧更有送行一句
坐斷十方無向背
出離三界路縱横
定中昭鑑
代表焼香として、ここ安土山と摠見寺の維持運営に関わる安土山保勝会の名誉会長であり、元大蔵大臣の武村正義氏、そして数少ない遺族の妹さんお二人が焼香をされると、楞厳咒が唱えられ、尊宿ならびに一般の焼香が行なわれました。
引き続き新忌斎(在家一般で言う四十九日法要ですが、禅門では津送の後につづいて行なわれる習わしです)が勤められました。
毎歳忌から津送・新忌斎、そして奉行の挨拶まで、約1時間。とても簡素で略式ではありましたが、いかにも禅門らしい、すっきりとしたいい法要でした。
法音老師には、以前、季刊誌『禅文化』にご寄稿頂いていたことがあり、180~184号に連載いただいた玉稿をまとめた遺稿集『茫羊漫録』が記念品として渡され、弊所はその制作をさせていただきました。
安土山を取り囲む田園から、涼しい風がふいてきて、いかにも初夏の一日。こうして法音老師は鬼籍に入られるのをお見送りしました。
私は個人的にもかわいがって頂き、色々とご指導もいただき、まことにありがとうございました。どうぞまた生まれ変わって、仏法の挙揚にご尽力いただきたいと思います。