「ホーホキョ」から「ホーホケキョ」へ ―ウグイスの学習

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小生の山寺では、7月だというのに、まだウグイスが鳴いている。一方では、ホトトギスも鳴いている。こちらでは「ホーホケキョ」、あちらでは「テッペンカケタカ」と、無風流の小生にとっては、やかましくてしょうがない。

こんなウグイスを、「残鶯」「晩鶯」と言う。また、「老鶯」という言葉もあるが、これは、老練の鶯という意味で、上手に鳴くウグイスのこと。これに対して若々しいウグイスを、「出谷黄鶯(谷を出ずる黄鶯)」と言う。これは、春、低い谷間から出て、高い木に移って鳴くウグイスのこと。
『詩経』小雅・伐木(ばつぼく)にある「木を伐(き)ること丁丁(とうとう)たり、鳥鳴くこと嚶嚶(おうおう)たり、幽谷より出でて、喬木に遷る」という歌によるもの。この時期のウグイスはまだ未熟で、鳴き声も「ホーホケッ」とか「ホーホキョ」とか、まったく下手くそである。

さて、そんな若いウグイスの声を、先人達はどのように表現したのか。五山文学の詩題に「鶯誦蒙求(鶯、蒙求を誦(よ)む)」とあり、繰り返し練習するかのように鳴く若いウグイスを、『蒙求』を繰り返して読む子供になぞらえたのである。『蒙求』は書名で、四字の二題を対として古人の逸話を網羅した、初学者向けの教科書的なもの。たとえば、「孫康映雪・車胤聚蛍」は、唱歌の「蛍の光、窓の雪」の典拠となった。「鶯誦蒙求」の一例を示せば、春屋宗園(一五二九~一六一一)の『一黙稿』に「鶯は蒙求を誦み、燕は論語、少年努力す、読書の声」とある。

昔の人は、若いウグイスの声を聞いても、「下手くそやなあ」などとは聞かずに、「よう勉強しておるなあ」と聞いたのである。来年の春、若いウグイスの声を聞かれた折りには、「よう勉強しておるなあ」と聞いてみて下さい。我が身のはげみにもなりますよ。

次回は、「テッペンカケタカ」と鳴くホトトギス(杜鵑・子規)のことを少し紹介します。