さすがに我が山寺も「ホーホケキョ」は消え、「テッペンカケタカ」の大合唱である。ホトトギスは群を作らないから、大独唱と表現すべきか。もちろん「テッペンカケタカ」と鳴くのは、ホトトギスである。
日本では、「子規」の字が当てられることが多い。「子規」は、唐詩にも見える古い言葉だが、明治30年に創刊された俳句雑誌「ホトトギス」を主宰した正岡常規(つねのり)の号「子規」から、一躍有名になったものか。
正岡子規は三十四歳の若さで亡くなるが、長く結核を患っていた。周知のとおり結核は血を吐く。それが、ホトトギスがしきりになくことを形容する「子規啼血(子規、血に啼く)」の詩句とあいまって、「正岡―子規(ホトトギス)―結核―吐血」の構図となるのであろうが、正岡が子規の号を用いたのは結核を患う前だから、声高に鳴くホトトギスを、我が苦吟に重ねたと見るべきであろう。あるいは、正岡が我が将来を察知していたと見ることもできるか。
さて、小生が勉強している日本語録では、ホトトギスは、多く「杜鵑」と表記される。少し堅苦しくなるが、「杜鵑」は、以下の伝説による語である。
「蜀の後主、名は杜宇、望帝と号す。位を鼈霊(べつれい)に譲り、望帝、自ら逃る。後、位に復(かえ)らんと欲(ほつ)するも得ず。死して化して鵑(けん)と為(な)る。春月の間毎に、昼夜、悲しく鳴く。蜀の人、之れを聞いて曰く、『我が望帝の魂か』と」(『太平寰宇記』)。
つまり「杜鵑」は、帝位に戻りたいと願ったが、その願いがかなわないまま死んだ蜀の望帝、名は杜宇の亡魂が、この鳥になったという伝説に基づくのである。
そして古人は、この鳥の鳴き声を「不如帰去(プールーグィチュ)」と聞いたのである。訓読すると「帰り去るに如(し)かず」。意訳すると「さあ帰ろう、さあ帰ろう」「帰ったほうがいいよ」などとなる。ホトトギスの別名を「不如帰」と言うのは、ここから来ている。これは、望帝の魂を慰める、その臣下達の声を表現したものであろう。
「杜鵑」「不如帰去」は、日本の禅録でさんざん用いられ、「迷いの娑婆世界におらずに、本分の故郷(悟りの世界)に早く帰ろうよ」という意に用いられる。
そう考えると、日本語の「テッペンカケタカ」は、「天辺=天上・悟りの世界(テッペン)に高く飛んでいるか(カケタカ)」の意かも知れない。もちろん小生の勝手な深読みである。
都会に住んでおられる多くの読者には、「ホーホケキョ」も「テッペンカケタカ」も聞こえないでしょうが、人の心は奥深いもので、「ホーホケキョ」も「テッペンカケタカ」も聞こえて来ます。それを手助けするのが漢詩や語録だと思います。
ウグイス・ホトトギスと続けましたが、何かご希望のテーマがあれば教えて下さい。なければ、次は、漢詩や日本語録に出てくるお花について無粋な話をします。