先日こんなことがありました。
暗くなってから自坊に帰ると閑栖和尚がいうに、近所に老夫婦だけで住まわれている檀家のAさんのご主人の方からついさっき電話があって、「嫁さんが見当たらんけど、お寺にお邪魔していないか」と聞いてきたと。
来られた様子がないので、「みえていないですよ、と答えたが、心配だから、お前も探しに行ってやってくれ」といわれました。私はさっそく懐中電灯をもって、ともかくAさんのおうちへ行ってみて尋ねると、さっき出て行ったきり帰ってきてないとのこと。このAさんの奥さんは、認知症ではないけど、物忘れ症候群のようで、ちょっと心配になります。
Aさんにどこか奥さんが行かれそうな心当たりはないかときいて、その心当たりのお宅へ向かいました。
そのお宅の奥さんと話してみると、「みえていたけど、さっき帰られましたよ。おうちの二階ででも眠ってられるんじゃない? じつは明日、○○○なことがあるらしくて、それが嫌でここに来ていろいろ話されて帰られたのよ」とのことです。
それでまたAさん宅にもどって、二階に寝ていないか確認して貰ったところ、「二階で寝てましたわ」って。帰られていたのに気がつかなかっただけだったんですね。ホッとして、「よかったですね、おうちにおられて」、「いやいやご迷惑をかけました」と、声を掛けあって帰った次第です。一応はこれで一件落着。
じつはこの「○○○なこと」というのは、このAさん夫婦の娘さんが、母親の物忘れ症候群を心配するあまり、Aさんと相談してデイケアサービスのお世話になろうとしているらしく、その件で、明日、ケアマネさんが来たりするとかで、Aさんの奥さんはそれが不安で、夜も眠れないと言っていたということなのです。
世の中にはこういう方がたくさんおられることだろうと思います。かくいう私の母も物忘れ症候群の一人。通院はしていますが、もっと社会や人と関わって欲しいと思うのに、寺でじっとしていることがほとんど。Aさんの娘さんのように、ケアマネさんに相談しようと思うのも当然でしょう。
でも、自分は大丈夫と思うお年寄りたちは、プライドもあり、逆に不安もあることでしょうから、嫌がるのもわからないではありません。
家族や親族、あるいは和尚と檀家さんという関係でなくても、こういったことに直面することが、今後どんどん増えてくることは、火を見るより明らかです。では私たちはどう対応していったらいいのでしょうか。
Aさんの奥さんは、ご主人に不安を言えないわけで、近所で親しく話を聞いてくれているおうちで、不安を語っていたわけです。
ターミナルケアまで見据える事も大事ですが、まずは人の声を聞く。これは大切な事だと思います。
今回のことで、改めていろいろと考えさせられました。
さて、禅文化研究所の今年のサンガセミナー、来週(7/20)の講座では「傾聴講座―カウンセリング技法に学ぶ傾聴の本質と実際」と題して、花園大学学長の丹治先生に講義いただきます。午後には村田真彌子さんによる「香りを知る」講座も開かれます。まだお申し込み可能です。