先般は、ムクゲの花についてラチもない話をしたが、仏教の花と言えば、やはり、ハスの花である。泥の中から出て、その汚れに染まらないハス。「新荷仏」という言葉さえある。
7月の中旬、臨済宗のある本山を訪ねたが、境内の池には、もうハスの花が満開であった。施食会(せじきえ)に参加した塔頭(たっちゅう)寺院の精霊棚(しょうりょうだな)にも、ハスの花が献じられていた。「ひとつき早いなあ」と思った。
小生の山寺のハスが咲くのは、8月に入ってから。それも、お盆に近づいてからである。小さな池ではあるが、毎年、花を咲かせてくれる。池には山からの水が引かれているから水温も冷たく、そのぶん、開花も遅い。しかし、小生の山寺の施食会は、8月19日だから、ちょうどいい具合にハスの花を精霊さんたちに供えることが出来る。
開いている花を一本、ツボミの花を一本、開いている葉を一本、巻いている葉を一本。そして、花を落とした、まだ青々しいハチスを一本。毎年、供えるのはこの5本と決めている。これで十分である。ゾクっぽいが、すべてタダである。小生は、8月に花を買ったためしがない、ありがたいことである。
ところで、またもや無粋な話であるが、なぜ、ハスが仏花の代表的存在であるのか。もちろん、宋の詩人周茂叔が「愛蓮説」に「蓮は淤泥(おでい)より出(い)でて染まらず」と歌うように、泥の中から綺麗な花を咲かせるからだが、ハスのツボミの中には、既に実が結ばれており、一切衆生が本来的に仏性を具えている喩えに用いられるからだと思う。
池のハスよ、ゆっくり育ってくれ。衆生、本来、仏なり。