禅宗のお坊さんは、時として、まったく奇妙な行動をなさいます。
これからしばらく、そんなお話を紹介しますが、笑うもよし、ウウーーンと考え込まれるもよし、どうぞ、ご一読下さい。
まずは、九州博多の聖福寺におられたセンガイ(仙厓)さんの話です。
【父死子死孫死】
黒田藩の重役某が和尚に面会して、
「めでたい語を書いて下され」
と依頼すると、和尚、
「よしよし」
と言ってすぐさま筆を執り、
父死子死孫死
の六文字を書いて与えた。某は眉をひそめて、
「めでたいことをお願いしたのに、死を並べて書いて下さっては、かえって不祥のように思われます」
すると和尚が言った、
「そうでない、孫死して子に先立たず、子死して父に先立たず、家に若死にがないほどめでたい事が世にあるか」と。
某もその意がわかり、おおいに喜んで頂戴して帰ったという。
この逸話は、正月の出来事であったという説もあり、やっぱり少しやりすぎかな? それではもう1話。
【踏み台となった仙厓和尚】
仙厓和尚のもとには多くの雲水が入門していた。聖福寺の近くには花街があったために、中には行ないの悪い雲水もいて、夜間ひそかに屏を乗り越えては花街通いをする者もいた。その屏が高いので、僧たちは、その下に踏み台を置いて登り下りしていたのである。
しかし、こんなうわさが師匠の仙厓和尚に伝わらないはずがなかった。みずからの不徳を恥じた仙厓和尚は、ある夜、彼らの帰る時分を見はからって、屏のところへ行くと、その踏み台を取りのけて、そこに坐禅して帰りを待った。
そんなこととは知らない雲水たちは、夜明け近く、こっそりと帰って来て、外から屏をよじ登って、さて内側に下りようとすると、どうしたことか、あるべきはずの踏み台がない。はて、どうしたことかと怪しみながら足でさぐってみると、ともかく踏み台の代用らしきものがあったので、それに足をかけてようやく下に下りた。
さて、下に下りて星明かりにすかして見ると、あろうことか、踏み台代わりにしたのは、何と師匠の仙厓和尚の頭である。さすがの悪僧どもも色を失い、その場に平伏した。
余りにも有名な逸話ですが、お弟子さんを思うお師匠さんの気持ちが伝わって来て、いつ読んでも好きな話です。