日本の禅語録を読むことを仕事としている小生は、正直言って、唐代(ある先生が唱えられた「純禅の時代」)の語録を研究しておられる先生方がうらやましい。これはもちろん、いわれなき愚痴である。唐代語録研究者のご苦労は十二分に承知しているし、その恩恵で日本語録を読むことが出来、感謝するばかりである。
しかし、しかし。当然のことであるが、『六祖檀経』には、西暦713年以後、『馬祖語録』には、西暦788年以後の出来事は出ない。当たり前のことだ。
だが日本の禅語録、特に多くの寺院の中興開山が輩出した室町後期からの禅語録には、仏典祖録はもちろん、六祖・馬祖以後、宋代の語録、ひいては元・明の語録までが引用される。
その禅語録は、多く偈頌を中心に成立しているが、それは、宋代にさかのぼる。言うに言われぬ禅の奥旨を表現するには、文章であって文章ではない、言葉であって言葉ではない、韻文の偈頌がもっとも適していたからだと思う。それは、日本の五山文学で結実する。ある意味で、純禅は衰退する。
それはさておき、日本の禅語録に引用されるのは、仏典祖録のみではない。『四書五経』『三体詩』『錦繍段』『文選』『蒙求』などは必携である。余談だが、『唐詩選』はあまり引用されない。そこで、小生の書棚には、明治書院の「新釈漢文大系」や、その他、もろもろの外典の解説書が並べられている。山寺での在宅勤務であるから研究所の蔵書は使えず、我が小さな書斎は本であふれかえっている。しかし、本というものは、ながめているだけでもこころよいものである。愛情さえ感じる。
本題にもどすと、日本の禅語録には、中国の文献どころか、『古事記』『日本書紀』から、神仏垂迹、源平合戦、織田・豊臣・徳川の戦記までが登場する。これはもう専門外であるが、それを根気強く調べ上げていくのが小生の仕事である。
日本の禅語録が、手を付けられないままでいた理由は、ひとえに、それらを調べ上げていく、その手間・時間にある。幸いに当研究所は、各寺院から、「江湖開山語録研究」への助成金を受け、各寺開山・中興開山の語録訓注を推し進めている。ありがたいことである。
大言をはくようではあるが、小生の後も、日本禅語録の読み手が続いてくれることを切に願うものである。