柳生の里 -あたやの石仏-

あたやの石仏

車で前を通った時に、なんとなく雰囲気を感じて川を挟んだ向こう側を見ると、木の影からこのあたやの石仏が見えたので車を降りてお参りしたが、本来歩いてお参りすべき石仏郡のひとつである。
元々、このあたやの石仏のあたりには阿対(あたい)寺があったらしく、それにちなんであたやの石仏といわれているらしい。
高さ約5m、幅約3メートルの石に刻まれており、中央が鎌倉末期の阿弥陀如来で、流行病よけの願いをきいてくれるという。
左側が地蔵菩薩で、室町時代の作。右肩に作者の名「源佑」が刻まれている。こちらは、子供のない人が豆腐を供えると子が授かるそうで、子供が出来た時には一千個のじゅずを作り、お礼参りをするのだとか。確かに、長い長い数珠がいくつか納められていた。
古くから人々の信仰を集めている柳生の里の様々な石仏。現在では観光地のようになっているのかと思っていたが、やはり今も人々の拠り所となっている事は確かであった。