上の写真は、自坊の本堂中央に掲げられている木製の扁額です。ちょっと読みにくいでしょうが、右から「瑠璃殿」と書かれています。自坊のご本尊は薬師瑠璃光如来(秘仏)なので、この額が掲げられているのでしょう。私も、そして父もこの額がいつ掛けられたのかは知りません。
書かれたのは、大本山妙心寺の初代管長を勤められた鰲巓道契禅師(1814~1891)です。ただ、自坊にはこの元になる書は遺っていませんでした。
今年5月に自坊の先々住の五十回忌をお勤めしましたが、それに合わせて閑栖がその師匠である先々住との想い出を一冊の本にして私家版『枯淡の家風』として上梓しました。その本の中にこの額の写真を載せておいたのです。そして、法要においでになった方々にはもちろんですが、ご縁のある人には、顔を見ると差し上げていました。
その50回忌の翌日のこと、私の修行時代の1年先輩の和尚が、悲しいかな早逝してしまわれ、翌月、その津送のために沼津のお寺に行った時の事。
そこに同席されていた京都で墨蹟などを扱うお店をされているご主人Yさんが私におっしゃるのには、「先日いただいた『枯淡の家風』の中に「瑠璃殿」という扁額が載っていたが、その元になったと思われる墨蹟を、近頃、業者のオークションで手に入れ、自分の所の広告に載せていたところ、とある方が店を訪ねられてこれを欲しいと仰ったので売ったのです」と。聞くと、その方のお寺も薬師如来がご本尊で、近く新命さんの晋山式を行なうので、それまでにとのご希望だったとのことで、古い痛んだ表具は外して額装にして納めたばかりだとのこと。
その話を聞き、大変興味を持ったので、いったいどこのお寺にお納めになったのか、よろしければ教えて欲しいと聞いたところ、私の隣の和尚を指さし、「この方なんですよ、それが……」と。
なんと私の隣に居たのは、私の修行時代の同夏(同期)。つまり最も近しい修行仲間のSさんなのでした。Yさんは私とSさんが同夏だということはご存じなかったので、これはホントに偶然だったのです。あまりに不思議なことなので、三人で声をあげて驚きました。
さらに、Sさんの祖父にあたる方も自坊で50回忌をした私の祖父と同じく、岐阜の虎渓僧堂出身。話を聞くと、うちの祖父とそっくりな枯淡な家風だったことにも驚き。ほぼ同じ時代に虎渓僧堂におられたようです。
祖父の50回忌があってその為に作った本、そして、このタイミングで3人が出会った不思議。なんとも摩訶不思議な仏縁としかいえないことでした。
Sさんのお寺に納められたのは下の写真です。どうです、まったく同じ物でしょう?