浄頭 -ちんじゅう・じんじゅう-

紫陽花の季節ですね

6月。食中毒対策からも、清潔が一層要求される季節となりました。
さて、玄関とトイレを見れば、その家庭のすべてが分かると言われます。玄関ももちろんそうですが、トイレ掃除の行き届いていない家は、内面生活も荒廃しているのではないかと疑ってしまいます。
古い清規(禅寺の規則)によると、禅院でトイレ掃除をする役職を浄頭と言います。東司(トイレ)を掃除し、水や洗剤、布などを用意し、修行者たちに気持ちよく使ってもらうための大切な役目です。
『禅苑清規』は、
浄頭は、行人の甚だ難(かた)しとする所、当人の甚だ悪(にく)むところなり。謂(い)っつべし、罪として滅せざるは無く、罪として愈(い)えざるは無く、福として生ぜざるは無し。同袍、手を拱(こまね)いて厠に上る。寧んぞ慚愧の心無からんや。
と、皆の嫌がる仕事だからこそ、功徳も多いのだと力説しています。
この文を読んで、浜口国雄さんの「便所掃除」という詩を思い出しました。


 扉をあけます。
 頭のしんまでくさくなります。
 まともに見ることが出来ません。
 神経までしびれる悲しいよごしかたです。
 澄んだ夜明の空気もくさくします。
 掃除がいっぺんにいやになります。
 むかつくようなババ糞がかけてあります。
 どうして落ち着いてくれないのでしょう。
 けつの穴でも曲がっているのでしょう。
 それともよっぽどあわてたのでしょう。
 おこったところで美しくなりません。
 美しくするのが僕らの務です。
 美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう。
 くちびるを噛みしめ、戸のさんに足をかけます。
 静かに水を流します。
 ババ糞に、おそるおそる箒をあてます。
 ボトン、ボトン、便壺に落ちます。
 ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。
 心臓、爪の先までくさくします。
 落とすたびに糞がはね上がって弱ります。
 かわいた糞はなかなかとれません。
 たわしに砂をつけます。
 手を突き入れて磨きます。
 汚水が顔にかかります。
 くちびるにもつきます。
 そんなことにかまっていられません。
 ゴリゴリ美しくするのが目的です。
 その手でエロ文、ぬりつけた糞も落とします。
 大きな性器も落とします。
 朝風が壺から顔をなぜ上げます。
 心も糞になれて来ます。
 水を流します。
 心に、しみた臭みを流すほど、流します。
 雑巾でふきます。
 キンカクシのウラまで丁寧にふきます。
 社会悪をふきとる思いで、力いっぱいふきます。
 もう一度水をかけます。
 雑巾で仕上げをいたします。
 クレゾール液をまきます。
 白い乳液から新鮮な一瞬が流れます。
 静かな、うれしい気持ですわってみます。
 朝の光が便器に反射します。
 クレゾール液が、糞壺の中から、七色の光で照らします。
 便所を美しくする娘は、
 美しい子供をうむ、といった母を思い出します。
 僕は男です。
 美しい妻に会えるかもしれません。
お金持ち?の家の生徒が廊下を汚しているその側で、掃除のおばさんが、這いつくばって雑巾がけをしているという光景を、ある私立学校で見たことがあります。
近頃では、学校の掃除を業者に委託するところも多いようですが、自分の始末は自分でつける、ということを徹底するためにも、生徒による掃除の時間は、なくしてほしくないものです。