来年は白隠慧鶴禅師の250年遠諱の正当年であるのは既にご承知の通りと存じますが、さらに昔、永正15年に遷化された大雅閠窓ァ禅師(?~1518)の500年遠諱正当の年でもあります。
大雅閠窓ァ禅師という方をご存知でない方の方が多いであろうと思いますが、禅師は大本山妙心寺の四派の一つ、聖澤院の開祖である東陽英朝禅師について、その法を嗣ぎ、尾張一宮の瑞泉寺に住し、妙心寺にも出世した方。また、岐阜美濃加茂にある八百津の大仙寺で東陽英朝禅師に続く二世となり、近隣の宝蔵寺や大通寺を開山し、同じく近隣の南陽寺三世、米山寺(現在の正傳寺)二世、臨渓寺二世となられ、最晩年は大仙寺にて遷化されました。
聖澤派では、来年春に禅師の遠諱法要をお勤めになりますが、それにむけて禅師を研鑚するために図録資料集を作りたいというご意志があり、弊所はそのお手伝いをさせていただくことになりました。
先般、岐阜は八百津の地を訪ね、大仙寺、宝蔵寺、南陽寺、正傳寺、大通寺をまわり、残された資料や書画等がないかを調査し、撮影してきました。
なにしろ500年前の方ですから、そうそう墨蹟などが残っていません。それでも貴重な資料を拝見し、撮影してきました。ないと聞いていた御木像もあり、また禅師が安座されたという古い観音様も目の当たりにし、貴重な調査となりました。
大仙寺の歴代塔。ほぼ中央に大雅禅師の卵塔が遺る。