去る夏の日、『訓註 永源寂室和尚語録』(永源寺開山語録研究会編)全3冊箱入りが、小生の山寺に届けられた。この本にたずさわって何年になるだろう。2年3年は没頭していた。
本を作る製作者には、この日が一番うれしい。
特に小生の場合、漢文の1字1字を調べ上げていく作業だから、日常的には喜びはない。ドラマの「トト姉ちゃん」とは少し違う。毎日が発見の日々、感動の日々ではない。
しかし、この日だけは格別である。原稿書きは、その本がどう仕上がって来るのか分からない。事前にPDFで見せてもらうが実感はわかない。
製作者にとって、1冊の本は、嫁がせる我が娘のようなものである。お嫁さんは綺麗にこしたことはない。いや、生まれて来る赤ん坊のようなものだ。ケガはあるまいか、カワイイだろうかと気が気ではない。
今日、それが届き、ケガひとつせず、カワイくて綺麗であった。装丁担当の○○さんに頭を下げて、感謝するのみである。
季刊誌『禅文化』も同じだ。編集者は、月の4回、25日だけが喜びである。それも1分。もう次には、次号・次々号の編集が待っている。1冊の本や雑誌を作り上げていくということは、そんなことである。
余談だが、我が家内が、コップにサイダー水をそそぎ、小生のコップにはビールをそそいでくれ、「おめでとう」と言って、乾杯をしてくれた。
このうえもない1日であった。
※本書『訓註 永源寂室和尚語録』は、昨日(11月7日)に大本山永源寺で勤められた寂室元光禅師の650年遠諱を記念して発刊。禅文化研究所にて発売いたしております。