修学旅行で奈良県明日香村にある石舞台古墳を訪れた人も多いだろう。古墳の盛り土が失われ、巨大な横穴式石室の石材が露出していることで有名だ。蘇我馬子の墓との説もある。その不思議な光景は、被葬者の権勢を現わすとともに、古代の土木技術水準の高さをも示している。
あまり知られていないが、京都にも石舞台に匹敵する古墳がある。右京区にある蛇塚古墳である。地図を片手に細い道を進んで行くと、住宅街の中に突如現れる異様な光景。明日香の石舞台と同様、墳丘が失われて石材が露呈している。その圧倒的な迫力には一見の価値がある。
古代、京都盆地を根拠地とした秦氏(はたうじ)の族長の墓所といわれている。秦氏は渡来系の氏族で、『日本書紀』などによれば百済から渡来したとされるが、新羅系であることを示す痕跡が多々ある。
弥勒菩薩像で有名な太秦(うずまさ)の広隆寺は秦河勝が建てたという名刹。河勝は聖徳太子の側近だったという。また、松尾大社や伏見稲荷大社を祀り始めたのも秦氏といわれている。嵐山の渡月橋のあたりに堰(せき)を築き、水の便の悪い嵯峨野周辺を開発したことは特筆に値する。大堰川(おおいがわ)の名前はそこから始まる。
京都の大地には、はるか古代の秦氏の活動の刻印が、今もたしかに残っている。