唯我独尊

 

blog_誕生佛.jpg誕生釈迦仏立像(奈良時代・7世紀) 東京国立博物館 研究情報アーカイブズより

「唯我独尊(ゆいがどくそん)」。生まれたての釈尊が言われた言葉だそうです。よく知られている言葉ですが、おおもとは、『毘奈耶雑事』巻二十に、「足、七花を蹈(ふ)んで、行くこと七歩し已(お)わって、四方を遍観し、手指上下して、是(かく)の如きの語を作(な)す、『此れ即ち是れ我が最後の生身。天上天下、唯我独尊』」とあるそうです。
「天上天下、唯我独尊」。この言葉を、「この世界で、おれは一番えらいのだ」と解釈しておられる人もおられるかも知れませんが、それは、僕の独断で言えば、まったくの誤解です。この言葉は、釈尊の、現在で言うところの「孤独感」を表わした言葉だと思います。「おれはこの世に一人しかいない、おれのことを理解してくれる者は誰もいない、どうやって、おれが悟った真理をみんなに伝えていけばよいのだ」と言う、いわば絶望感なのだと思います。

「生老病死(しょうろうびょうし)」。釈尊が説かれた四つの苦しみ、四苦です。この「生苦」も、多くの人は、生まれて来る時の苦しみと解釈されておられると思いますが、これも、僕の独断で言えば、生まれて来るということ自体の苦しみなのです。生まれて来なければ、当然ですが、苦しみは発生しません。だから釈尊は、不邪淫戒を説かれました。釈尊の不邪淫戒は、性交の快楽を禁止されたのではありません。根本の「生苦」を作るなということです(もちろん、律学からは反論があるでしようが)。これが、インドで仏教が受け入れられなかった一つの要因だと思います。

僕たちは、一人で生まれて来て、一人で苦しみをかかえて生きざるを得ません。

ここで思い出してほしいのです。

自分というものは、一人しかいないのだということを。
自分の心を本当に理解出来る人は、誰もいないのだ、自分さえそうなのだということを。
だから、誰かのせいにして自分から逃げないように。

でも、みんな、そんなに強くないから、誰かの助けを求めるように。
誰かに声をかけるように。

小生も僧侶でありながら妻帯しています。しかし、妻の気持ちは、小生には分かりません。
それが、一人ということです。でも、そばにいてあげることは出来ます。一人と一人として向き合うしかありません。

人の心は分からない。だから、人の声を聞いて下さい。
自分の心は誰も分からない、だから、人に話して下さい。

結局、ブログ禅読者の皆さんの力に応援を求める、個人的な記事になってしまいました。