禅宗の開祖である達磨大師は敵対者に毒を盛られて死去し、熊耳山に葬られた。三年の後、宋雲という人物が西域へ赴いた際、パミール高原で片方のくつ(隻履/せきり)のみを携えて独り歩む達磨と出会った。「どこに行かれる」と驚き問う宋雲に対して、達磨は「天竺に帰るのだ」と答えたという。宋雲から報告を受けた皇帝は達磨の棺を調べさせた。すると中は空っぽで、片方の鞋のみが残されていたという。
よく知られる「隻履達磨」の故事だ。中国に残された履については、達磨が中国にもたらした禅の教えの象徴だと、一応は言えるだろう。立つ鳥跡を濁さずで、足跡を残さないこと(没蹤跡/もっしょうせき)を貴ぶ禅宗であるが、さすがの達磨も東方の人々のために敢えて足跡の一班を置き土産としていった、というところであろうか。
東方の聖者達磨に対して、西方の賢者である古代ギリシアの哲学者エンペドクレスにも、よく知られた「片方の靴」に関する伝説がある。エンペドクレスは四元素説を唱えた人物として著名だが、その死の一説について、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』には、次のように記されている。
「エンペドクレスは起き上がってから、アイトナ(火山)の方へ向かって旅立って行ったのであり、そして噴火口のところまでたどり着くと、その中へ飛び込んで姿を消したが、それは、神になったという自分についての噂を確実なものにしたいと望んでのことであったという。しかし後になって、事の真実は知られることになった。というのも、彼が履いていた靴の片方が焔で吹き上げられたからであるが、それは彼が青銅製の靴を履くのを習慣にしていたからだというのである」(加来彰俊訳、岩波文庫下巻66頁)
古代ギリシアには、英雄は生きながら天に引き上げられて神になる、という考えがあったらしい。その代表がヘラクレスだが、「神になったと信じられたい」というエンペドクレスの願望は、彼自身の「片方の靴」によって打ち砕かれたというのである。
達磨やエンペドクレスに限らず、その身を隠して後に靴を残すというモチーフは、神話や伝説の中によく見られる。そういえば、かのシンデレラも、真夜中の鐘に慌ててガラスの靴を落として帰り、その靴がカギとなって王子に見出される。こうした「片方の靴」については、精神分析や神話学の方面からも様々な解釈が出来るだろう。
そもそも履き物とは、左右が揃って始めて用をなすものである。あまたの神話伝説が我々に問いかける「隻履」の用とは、いずこにあるのだろうか。白隠禅師の「隻手」ではないが、そんな「隻履」の意味をあれこれ考えるも面白い。