逸話(14)白隠門下 その9-大休慧昉

白隠門下で、のちに東福寺派の宝福寺(岡山県井山)に住した大休慧昉禅師(1715~1774)の逸話を2話ご紹介します。


大休慧昉墨蹟.jpg「大休和尚―南泉一株花の公案―」

ある時、大休和尚は、〈南泉一株花〉という公案を究明していた。ちょうど白隠禅師が、金剛寺の雲山和尚を訪問されることになり、大休も随侍した。その途中、大休は、公案に対する見解を示した。その見解を聞いた禅師は、
「そのような悪見解、犬も食わぬぞ」
と、大休を叱りつけ、杖で叩きすえた。
金剛寺に着いた禅師がうしろを振り返ると、大休の姿がなかった。禅師は、
「遅れよったな」
と思い、そのまま金剛寺に入り、雲山と夜どおし話をした。
その頃、大休は、金剛寺門前の農家に入って坐禅をし、一念の妄想もない坐禅三昧に入っていた。どれほどの時間が過ぎただろうか、ふと目を開くと、もう夜の月は沈み、カラスが鳴き、東の空がしらみはじめていた。その景色を見た途端、大休はカラリと〈南泉一株花〉の公案を悟った。大休は走って白隠禅師に相見し、その見解を示した。禅師も、大いに称嘆されたという。

 


 

「快岩・大休―雨の中の托鉢―」

快岩と大休が、松蔭寺に掛搭することになった時、白隠禅師は二人に対し、
「この寺は貧しく、そなたらを養うことができぬ。明日、村へ出て托鉢をせよ」
と命じられ、二人も承知した。
翌朝は、激しい風雨だった。二人は旦過寮まで来て、雨が止むのを待っていた。そこへ、白隠禅師が竹箆をひっさげてやって来られ、
「おまえら、ここで何をしておる」
と、ものすごい剣幕で尋ねられた。快岩が、
「風雨が激しいので、托鉢に出ようかどうか、迷っていたところです」
と答えると、禅師は、
「この意気地なしめが! 風雨を恐れてどうするのだ! 東海道にはいくらでも人が往来しておるではないか。おまえら、はよう托鉢に出ねば、わしが、ぶったたくぞ」
と、二人を叱りつけた。二人は、禅師の剣幕に恐れおののき、旦過寮を出て行った。山門まで来ると、二人は顔を見合わせ、
「なんと厳しい和尚よ」
と言いながらも、笠をかぶり、雨合羽を着け、雨をついて托鉢に出かけて行った。
昼、柏原に着いたころ、雨はようやく上がり、米や麦、七、八斗ばかりを托鉢することができた。
夜になって松蔭寺に帰り着いた二人を見た白隠禅師は、
「そなたら若い者は、こうでなくてはならぬ」
と喜ばれ、二人のために「藕糸孔中の弁」を示された。

※快岩=快巌古徹(生没年不詳/山梨県長光寺/白隠法嗣)

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は「一葉舟中載大唐」(大休慧昉書/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より