昨日(2018.1.18)、花園大学歴史博物館で開催しております「蘇山玄喬展」の公開講演会として、花園大学国際禅学研究所研究員の瀧瀬尚純氏による「蘇山玄喬禅師-その人と行履-」と題したご講演をいただきました。師は日本近世臨済宗についての研究をされています。季刊『禅文化』245号には、「白隠慧鶴と愚堂東寔」と題した一文を寄稿頂いております。
聴衆は約30名でしたが、プロジェクターと詳細なレジュメを用いた講演に聴き入っておられました。
さて、白隠禅師と比べると遥かに知られていない禅僧ではありますが、九州で生まれ、熊本の見性寺住職を務めた後、京都府八幡市の円福僧堂で雲衲を接化し、名古屋市の徳源僧堂の禅堂開単もされた方で、後の臨済宗門に大きな影響を与えました。
実は50年前の季刊『禅文化』46号(昭和42年9月) にて、禅師の100年遠諱を記念して蘇山禅師の特集が組まれています。その時の特集記事は、
蘇山和尚を憶う/松山萬密(当時:徳源僧堂師家)
蘇山和尚と見性寺/西片義保(当時:見性寺住職)
蘇山玄喬の生涯/加藤正俊(当時:禅文化研究所資料室主任)
といったもので、執筆者の方々はもう皆さん鬼籍に入られていますが、今、読み返しても充分な内容です。
このたびの遠諱に合わせて、徳源寺から発刊されました『妙用禅師遺徳集』を、禅文化研究所はデジタルアーカイブス事業を通じて制作させて頂きました。見性寺、多福寺、円福寺、徳源寺に所蔵される書画をすべて掲載しております。
博物館の展覧会も2月3日まで開催しております。是非ご来場をお待ちしています。