さて、今日も西郷隆盛の逸話から。
◇炭火も使いよう
西郷が、ある人の壮行会に出席した。冬の寒い時で、座敷の火鉢には炭火が盛んにおこしてある。酒宴もたけなわになったころ、西郷は戯れに芸者に向かって言った。
「おまえさんにいいものをあげ申そう」
芸者は喜んで両手を出したところ、西郷は傍の火鉢から火をはさんで出した。芸者は仕方がないので着物の両袖でこの炭火を受け取った。一座はドッと興をわかした。
しかし、この芸者にしてみたら心中穏やかではない。仕返しをしてやろうとて、同じことを西郷にしたのである。ところが西郷は、
「はい、ありがとう」
と言って、おもむろにを取り出すと、一服、煙草を吹いつけたのである。
◇刺客に「ご苦労さんでごわす」
佐久間貞一、人見寧、梅沢孫太郎の三士が西郷を暗殺せんと企てていた。一計をはかって、勝海舟に紹介状を頼みに来た。そこで海舟は、
「佐久間、人見、梅沢の三士は幕臣なり。今般、足下を刺し殺さんとして遠く錦地に行く。幸いに接見の栄を三士に与えられよ」
という意味の紹介状を書いて与えた。三人は紹介状を持って西郷の家を訪ねた。時あたかも炎暑の候であったが、玄関にもろ肌を脱いだひとりの肥大漢がごろりと横になっていたので、すぐに紹介状を渡して、
「なにとぞ、先生にお取り次ぎを願いたい」
と言えば、裸の男は、
「はあ、吉之助は俺どんじゃ」
と言って、三人を奥の間に通したが、紹介状を一読して、
「お前たちは俺どんを刺しに来られたこつじゃが、遠路どうもご苦労さんでごわす」
と言ったので、三人は色を失って早々に逃げ帰り、海舟に告げて言った。
「どうも西郷という人は大人物で歯が立ちませんでした」
※いずれも『禅門逸話選 中』(禅文化研究所刊)より