お仏壇の購入

泥の中から美しい花を咲かせる蓮

つい先日、自坊の檀家の独居老人のAさんの家に、年忌にあわせて購入された新しいお仏壇の開眼に出かけた。
今まではご縁のある方から譲ってもらっておられた古いお仏壇で、宗派様式が禅宗とは違うものだったので、それを処分して、新しいお仏壇にされたのだ。
法要の後、親戚の方々と話をしていたとき、こんな話が出た。
「分家した家ではお仏壇をいつ買えばいいんでしょうか。誰も亡くなっていないのに買うもんじゃない、縁起が悪いことが起きると、よく人がいいます」と。
そこで私はこんな話をしました。
分家した当主にももちろんご先祖がおられるでしょう? 自分はそのご先祖方の縁をいただいて今ここにいるのです。だからお仏壇を購入してお祀りするご先祖がないわけじゃないのだから、気持ちが起こったのなら買えばいいんじゃないでしょうか。追善供養することに悪いことがあるはずはないでしょう……。
冒頭に書いたように、この檀家さんは、6年ほど前に、息子さんと奥さんを順に亡くされ、今は一人暮らしのお爺さん。法事には嫁がれた娘さんのご主人と子供達、そして2、3人の親戚がお参りされていた。
嫁がれた娘さんの子供達も、もう成人されたお嬢さんなので、彼女たちに話すつもりで、こう続けた。
失礼と存じつついいますとね、こうして新しいお仏壇を買われたけれど、なんで今更って思いませんでしたか? この家にはもうAさんしかいないんでしょ。Aさんが亡くなった後はこのお仏壇をお守りする人がいないのに、なんで今頃お仏壇を買うんだろうって、思わなかったですか?
だけど、それほどまでしてAさんは、息子さんや奥さんの菩提を弔いたかったのではないでしょうか。
そうすることによって、自分に大きな安心(あんじん)を得られたのではないでしょうか。
そうですよね、Aさん。
するとAさんは大きく頷かれていました。なんかホッとしたと仰いました。
これが本当の追善供養、そして回光返照ってことだと思う。
回向返照というのは、仏壇の花を仏様に向けて供えないで、自分たちに向けて飾っているのも同じことで、仏様やご先祖様に功徳していることが自分たちにさし巡って返ってくることの象徴なのである。
Aさんのされたことを、席を共にした若い人たちに知っておいて欲しくて、下手なお話をしたのであった。