季刊『禅文化』の取材で、奈良は春日大社に参りました。「諸宗教を超えた対話」として、禅僧とさまざまな宗教者に語り合っていただく対談企画です。
対談において、他者を思い遣る日本人の気質は、神仏への畏敬の念によって培われたのではというお話がありました。「日本人は1000年かけて、神仏に対して何をしたら良いかを考えてきたのではないでしょうか」。場を美しく調えるのも、相手(神仏であれ人であれ)が大切だからこそ。美しいものには心が宿ると。
境内でそれを実感した場所が、御祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が天降られた御蓋山「浮雲峰」の遙拝所。当初は禁足地に無人の遙拝所を設けることを危惧する声もあったと伺いました。ですがいざ開放してみると、監視の目、外国語の看板がなくとも、境内奥にあるこの聖地にいたずらをしたり、汚したりする人は皆無なのだそうです。
心は目に見えないようで、しっかり伝わるものなのですね。留意します。
追記
換毛期の鹿を見るのは初めてでした(背中の斑点はまだ冬毛の奥に)。