「地獄への招待」されることなんて、まっぴらごめん、そう思う方が大半でしょう。
世知辛い世の中、人との関係もなかなか大変だし、思った通りに事は運ばない。もっとお金も儲けていい家に住んだり、上等の車も買いたいし、好きになった人と結ばれたいと思うのに、ちっともうまくいかない。たとえ結婚したところで、妻からいつも疎まれ、子供からは「汚い、臭い」などと半ば罵られるならマシ。話さえもしてくれない。つらいつらい毎日。
でも自分は、少なくとも真面目に生きてきた。ひどいウソもついてないし、盗みをしたり人も殺してない。だからこんな世の中とおさらばしたら、パッとあのお浄土とやらに生まれ変わって、幸せに愉しく暮らすんだ……。
残念ですが、そんな希望を持っても上に書いたような業によって、我らは地獄に落ちるんですよ。
なんとも簡素でありながら不気味な表紙の『地獄への招待』(臨川書店刊・税別2300円)の編者である、関西学院大学の西山克先生は序文に次のように書いておられます。
日本の現代社会における他界、とくに地獄への関心は、決して宗教を媒介にしたものではない。教義とは無関係に私達はそこに明日の私を投影する。地獄が私達の現世での営み(業)によって裁かれる世界である以上、そこにあるのは、人・物の執着から逃れられず、愚かで怒りっぽい私たち自身の姿である。地獄こそが私たちの現実を如実に反映した世界なのだと言い換えてもよい。
そうなのだ。地獄こそが現実であり人生なのだ。……(以下略)
どうですか。地獄絵に観るあの恐ろしい光景は、実は現実のこの世界だというのです。でも、考えてみれば、この世も愉しいことも多いではありませんか。地獄=現実。そう考えると、地獄も捨てたものではないようで。
さぁ、そんなお話をたっぷりと聞かせて頂ける講座が、平成30年度サンガセミナー京都講座にあります。
七夕の日に京都の東山高台寺にて「地獄絵図(熊野観心十界図)お絵解き講座」。是非ご参加下さい。
帰りには、近くにある閻魔大王像で有名な六渡寺珍皇寺にお参り頂くのもよしですね。