引き続き、司馬遼太郎記念館。
さて、企画展である「21世紀に生きる君たちへ」。
展示用ディスプレイとして、「21世紀に生きる君たちへ」の全文、そして、司馬が好んで使っていたという色鉛筆で校正されたゲラ原稿などが展示されていた。
何度も読んだことのある「21世紀に生きる君たちへ」ではあるが、こうして目にすると、また新たなる感動が生まれてくる。
そもそもこの文章は、小学生の教科書のために書いたものであるが、子供たちは、この文章をしっかりと心に受け止めてくれたのだろうか。
また、彼らを教育する先生方は、司馬の思いをきちんと子供たちに伝えてくださっているだろうか。
「21世紀に生きる君たちへ」の全文を読んでもらいたいのはもちろんだが、その中で司馬は、自分の知ることのできない未来である21世紀に生きる子供たちに、ただして欲しい希望を連ねている。
まず一つは大いなる存在に生かされていることを知り、昔のように自然・人間を尊敬して欲しいこと。そして、「自分には厳しく、相手にはやさしく」という自己を確立し、社会において互いに助け合って生きていくべきこと。そうすることによって、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるに違いないと。
実はこの想いは、数々の著作の根幹にある司馬自身の想いそのものなのであることを知った。記念館内部にある講演会場にもなるシアターの映像で、司馬は映像の中でこのようなことを語っていた。
自分が著作を始めるにいたった根源は、敗戦から復員してきた22歳の時の自分にある。なぜ日本がこのような国に成り下がってしまったのか。国を治める人たちがどうしてこんなにふがいないのか。大正以前の日本はこうではなかったはずだ。戦国時代や江戸時代の日本人はちがったはずだ。
しかしその時私はなにも知らなかった。歴史のことがわからなかった。だから自分で調べ、22歳の時の自分にあてた手紙のように著作を始めたのだ……と。
さて、司馬は、昨今の悲惨な事件の数々を知ったならば、いったいどう思うことだろう。
記念館を訪れた記念に何冊かの本を買ったが、そのうちの二冊が上のもの。片方は英語が対訳されていて、世界の子供たちにも読んでほしいものだ。
記念館を後にするとき、もう一度、司馬の書斎を見てみた。
まるでそこに居るがごとし。机を離れて食事にでもいっておられるような状態である。