美しい国、日本?! -アレックス・カー氏-

氏は、雨蛙を見てエメラルドと・・・

7月15日、TBS『情熱大陸』というTV番組に、アレックス・カー氏が出ておられた。
どのような方かはこちらで>『情熱大陸 アレックス・カー(東洋文化研究家)』
様々な仕事をこなしていらっしゃるが、その全ての根底にあるのは、-本当に美しいものとは何か-であって、揺るぎない信念と審美眼を持つ彼だからこそ出来うる仕事をしていたら、それがあらゆる分野にまで拡がっているだけなのだと思えた。
「日本は、東洋の文化の終着地点のような所」と、番組内でおっしゃっていたが、まさにその通り。それは、アジア各国に趣き様々なものを自分の目で見て、手で触れて来たからこそ自然と出てくる言葉なのだろうと思えた。
今、政府は「美しい国、日本」というコピーを携えているが、それならば、その日本の源流とも言える国々の文化の知識までをも持ち、その上で、なかば壊れかけた日本の美しい風景や文化をどのように立て直して行くのかを見据えなくては、狭い狭い日本の内だけを見て「美しい国、美しい国」と言っていても、机上の空論に過ぎない気がする。
氏のように、知識と経験、ものを見る心の目を持った方に政策に携わって欲しいような、すがるような気持ちになってしまった。

これは蓮ではなくて睡蓮です

さて、氏は京都で町家の再生プロジェクトにも参加されている。
今回も町家を宿泊施設に再生する為の打ち合わせ場面が放送されていたが、日本の業者側は「階段が急で危ないので、もう一つ別に新しい階段を作らなくては」と言う。
カー氏はそれに猛反対。私もTVの前で猛反対。なんて不細工なことをしようとするのだろう。
その日本人の感覚こそ、商業主義に走るあまりに美しさを捨ててきてしまった現代日本の象徴に思えた。
ちなみに、話せば長くなるが色々な意味で私は京都が好きなのであるが、では、町家を再生し店舗として営業している店で、何一つ妥協なく美しく、ポリシーを持って再生され営業されている店がどれだけあるだろうかと考えてみると、非常に少ないのである。
日本の美しさを優先するよりも、観光客がとりあえずは喜ぶであろうという程度の店が氾濫している気がする。
京都市内の景観の悪さもズバズバと指摘され、なんとなく日本人として穴があったら入りたいような気持ちになった次第。
桂離宮、光悦寺、白川郷、その他多数日本の美しさに気付き、改めてその美しさを世に紹介し、大事な遺産として残していかなくてはならないと警鐘を鳴らすのは、なぜいつも日本人ではないのであろうか・・・。
-追記-
最後に一つ気になった(せっかく素晴らしい番組なのに残念!)のは、番組内で氏が育てておられる花が「蓮」と紹介されたが、あれは「睡蓮」では・・・。蓮と睡蓮は違います! 日本をはじめ、アジアではどちらの花もよく見られますが、皆さん見分けられるようになりましょう!