まもなく旧正月。中国ではこれからお正月休みといったところで、京都にはまた多くの中国人観光客が訪れることに違いないでしょう。
それはさておき、自坊の檀家さんの中で一軒だけ、毎年旧暦のお正月に祈祷のためにお宅に出向いて、理趣分(「大般若波羅蜜多経」第五七八巻)を誦んでいるお宅があります。以前にも本ブログで書いたことがあるかと思いますが、知る限りでは先々代当主の時からずっと続いています。もっと以前から続いていた可能性もあります。
ここの現当主は私の幼なじみなのですが、娘さんが3人おられ、その御長女Hさんが御養子を迎えられて新しい世帯を構えられています。
今年はちょうど旧正月が当る日に他のお宅のご法事を受けてしまっていたので、一週間前の先日、理趣分を誦んでまいりました。今年はその新世帯を設けたHさんが言われるには、「私は今年は前厄なので懇ろにお願いします」と。小一時間の読経で、ご本人もすっきりしたということでした。
その後、お話をしていると、こんな話になりました。
Hさん)「和尚さんは善光寺って行ったことありますか?」
私)「はい、もちろん。3~4回くらいかな、お参りしたことがあります」
Hさん)「そうなんや~。私は行ったことがないので、来年は家族みんなでいかないと、と言ってるんです」
私)「ほぉ、急にまたどうして?」
ここからが面白い、いかにも現代っ子!
Hさん)「こないだね、寝る前にスマホでYoutubeを見ていたんですよ。何を見ていたかというと、“死刑で罰せられ処刑された人はどうなるのか”というのがあって……。そしたらその下にあった別の動画で、生前に善光寺にお参りしておかないとお浄土に行けないらしくて、死んでから、まず善光寺にお参りしなければダメなんだとかいうのがあったのですよ」と。
少しディテールが曖昧で間違っている部分もありましたが、ともかくは、「自分も含め大事な家族が、死んだ後にちゃんとお浄土に行くためには生前に善光寺にお参りしておかなければならない」ということを、なんと、Youtubeの動画を観て知ったということ。私はそこにひどく興味を抱かざるを得ませんでした。
「牛に曳かれて善光寺参り」という話がありますね。無信心な老婆が、ある日、布を洗濯して干していたところ、通りかかった牛が角にひっかけて走っていってしまったので、それを追いかけたら、ついに善光寺に至り、そののち篤く善光寺を信仰したという話なのですが、無信心ではないにしろ、今まで善光寺なんて有名なお寺を知りもしなかった当家の娘さんが、Youtubeをみて善光寺を知り、是非ともみんなでお参りしたいと思ったわけで、これはまさしく現代版「牛に曳かれて善光寺参り」ではないかと思った次第です。
もちろん、「善光寺に行く前に、うちのお寺にもお参りしてね」といっておきました。お寺での大般若祈祷会にもお参りしてくれるそうです。