中津・自性寺へ

 

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宇佐神宮をあとにして、デジタルアーカイブスの調査出張先である中津市の自性寺様へ向かいました。

予定通り10時着。積んできた調査機材を下ろして新幹線組のスタッフを待ちます。

この自性寺は奥平家の菩提寺でありますが、12代目の住職に提州禅恕(1720-1778)という、白隠慧鶴禅師の法を嗣いだ方がおられます。そしてその法を嗣いだのが13代目住職、海門禅恪(1742-1813)です。のちに八幡の圓福僧堂を開単された方です。

そしてこのお寺には「河童ケンヒキ太郎」の逸話が残っています。人に取り憑いて苦しめていた河童ケンヒキ太郎を、この海門和尚が仏縁によって改心させ、その河童が書いた詫び状が伝わっているのです。以後、この河童は水神のように近くを流れる山国川を護ったということで、境内にある地蔵堂の屋根には、山国川の方向を見ている河童の鬼瓦がありました。

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件の詫び状、写真は控えますが、とても素晴らしい筆書で書かれていました。

さて、3日間に渡る調査をしたのですが、その間、中津駅前のホテルに宿泊していました。私が泊ったのは10階の部屋。朝起きてスクリーンカーテンを開けると、目の前に不思議な光景が。

b_2019-02-14-07.19.jpgとなりのホテルの屋上になにやらおられます。アップでみてみましょう。

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これでもよくわかりませんが、じつはこれ、福沢諭吉先生なのです。
福沢諭吉先生の生家がこの中津にあり、中津藩の旗本として、蘭学者として、そして慶應義塾大学の創設者でもあり知らない人はありませんよね。
遺された有名な言葉が「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」ですが、思いっきり上から目線でした。

自性寺様では3日間で100本以上の書画墨蹟を調査させていただきました。もう一回は訪問する必要がありそうです。

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