この春200年の遠諱をむかえた誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)禅師(大用国師、1745~1820)。禅師は、当時宗風が沈滞していた円覚寺を復興された「鎌倉禅中興の祖」でありながら、京都五山の相国僧堂や天龍僧堂の開単をも果たされた、まさに傑僧といえる方です。252号では、禅師の近世禅林における業績を改めて顕彰し、ご紹介しております。
禅師が前版職(僧堂師家)に就かれていらい、円覚寺に集まる修行僧の数は年を追うごとに増えていき、寛政8年(1796)の雨安居には、74人もの修行僧が禅師の下に参集したそうです(本号掲載論稿・舘隆志「誠拙周樗の鎌倉における禅の復興」より)。この事実だけでも、その接化がいかに人を引きつけるものであったかご想像いただけることでしょう。
「凡(おおよ)そ五十年間、正続僧堂に在りて只だ仏法を以(もっ)て人の為(ため)にするを我が任と為(な)す」。誠拙周樗禅師は、自らこのような言葉を遺されています。その生きざまを、この機会に是非知っていただきたく存じます。詳しくは、こちらをご覧ください。