28日は千利休さんの月命日。
この季節、少しでかけるだけでも汗が吹き出るような暑さだが、今月(7月)は土曜日と重なった為、、このような暑さに釜を懸けるご亭主は、どのような工夫をなさるのだろうと、お勉強させていただく為でかけてみた。
月命日であるから、むろん各塔頭での茶会が始まる前に、本堂で読経がある。
夏なら8時ぐらい、それ以外の季節だと、9時前くらいに塔頭に伺うと見学可能。
今回は二席回らせていただいたが、心に残ったのは、「自分の心の中にあるわだかまり、不安、どろどろした気持ち」など、この時期の暑さのみならず、人間の汚れや何かを洗い流して下さるような、久田宗也宗匠のお軸、「瀧」の一字。宗匠のお人柄をそこに見るような字に感動。そして床に飾られた吊り花入に生けられた昼顔。茶席で心の洗濯です。
その他の御道具も、暑さを忘れさせるなんともすっきりとしたお席で、席中ではたらく社中の方もきびきびと気持ちよく、日頃のお稽古の様子が伺えるようであった。
また、もう一つのお席では、由緒あるお茶碗の中に、皆も陶印を確かめるのだが誰のお作かわからぬお茶碗が。
ご亭主の話によると、「五条坂で、なんやしらんいいお茶碗やなぁ思て、求めましてん」と。
私であれば、名のある陶工が作ったわけではない、この素敵なお茶碗に気付けただろうか・・・と。
何事においても、「気付く」というのは、なかなか出来ない事で、見習いたく思った次第。
茶道は堅苦しい、なんだか権威主義の社会に思える、お月謝がすごそう! など、色々と世間での噂が先に立って始められない方もいらっしゃるかと思う。
が、良き師匠に出会い、自分が自分の在り方をはっきりと決められるようになれば、その先には自由があり、発見があり、これほど広がりあり奥深い世界はない(と、私は思う)。
禅から茶に入る方、茶から禅に興味を持つ方、色々いらっしゃると思うが、せっかく興味を持ったならば、まずは「はじめの第一歩」なのである。