先日、自坊の檀家さんの中で最長老、町内でも最長老であったK婆さんが、享年百で逝去されました。このお正月に数えで100を数えられ、まだまだ長生きして頂きたいと新年総会で話したばかりだったのに、まことに残念なことです。
結婚して2児をもうけ、下の男の子(このたびの喪主)がようやく1歳を迎えたばかりの30歳すぎの頃に、檀那さんが事故で亡くなってしまった。それからというもの、女で一つで苦労に苦労を重ねてこられた人なのです。
戦後直後で、世の中も疲弊しているところ、二人の子供を育てるのは容易ではなかったことは想像できます。喪主さんが成人してから母から聞いたと仰るには、自分たち幼い子供二人の手を引いて近くにある国鉄の踏切まで何度も行ったと。一緒に死のうと思ったのだそうです。それでも亡くなった夫の血を引いてくれた子供達にそんなことはできないと踏みとどまり、立派に育て上げられたのです。
私はそんなご苦労は知るよしもなかったのですが、ともかく信心深いお婆さんで、お参りにいっても、般若心経はもとより、観音経でも一緒にお勤めされるような方でした。そして、晩年になって、足腰が多少不自由になってきても、毎日、老人用の手押し車を押して神社や自坊に手を合わされました。
耳が遠かったので、自然と声が大きくなり、神社でお参りされている声が神社の隣のうちの境内まで聞こえてきます。
「今日まで家族を無事に過ごさせて下さりありがとうございました」と。そして「なにとぞこれからもよろしくお願いします」と。
聞こえてくる声に、「ああ、またあんな大きな声で……」と微笑ましく思っていたのですが、考えてみれば、若くして未亡人になり苦労の絶えなかったKさんにとっては、心からほとばしり出る感謝の気持ちだったに違いないのです。
そんなKさんのお葬式の前日、喪主である息子さん、といってももう七十歳ですが、自坊に用事があってお越しになった時に私に、「うちで遺体となった母の顔を見るたびに泣けてくるので、お葬式のあとの挨拶、嗚咽してしまうかもしれないけど、堪忍してや」と仰っていました。「百寿の大往生なんだから、ニコニコと送ってあげましょうよ」と返しておりました。
そしてお葬式当日。私は導師として引導の中で、神社やお寺に手を合わせて家族の無事を祈り、家族の将来をお祈りされていたことを、Kさんの生き様としてお唱えしたのですが、その時に遺影を見て、まざまざとその姿が浮かび上がってきてしまい、私が泣けてきてなんどか引導に詰まってしまいました。それでもなんとか終えたのですが、葬儀の最後の喪主さんは、泣くこともなく、母の思い出話も交えながら上手にご挨拶をされました。
あとで聞いたところ、遺影を見たら泣けてくるので、お通夜の時からずっと遺影から目をそらして母の顔をみないようにしていたとのこと。この遺影たるや、生前のKさんのにこやかなとてもいい写真なので、肉親にしてみたらなおのことです。
天寿を全うされおめでたいとも言うべきお葬式ながら、やはり大事な人を亡くすということはこれほどに悲しいことなんだなと改めて実感した次第です。親の恩にあらためて感謝しなければならないですね。