婆子焼庵_『五灯会元』より

ただいま小衲、『五灯会元』全二十巻の全文訓読を進めています。
現在巻第二十、いよいよ終わりに近づきました。が、八月盆に忙殺され、最後の二十人が終わりません。因みに、立伝者に通し番号を付けてみました。なんと、最後の徳山子涓禅師は、2039番でした。
ところで、『五灯会元』は、よく整理された文献で、有名な公案が目白押しです。「婆子焼庵」という、余りにも有名な公案がありますが、これは、『五灯会元』巻六の「亡名道婆」五則のうちの一則です。

庵_西村惠信画

あの故山田無文老師の名調子をお借りすると、


「中国に、『婆子焼庵』という公案がございます。ある奇特な婆さんが若い雲水を世話して、自分の家の離れに置いて、三度三度食事を運んで修行させておった。そうすること二十年、うちの和尚もだいぶ修行ができたじゃろう、どのくらい悟ったか、いっぺん試験してやらんならんというので、毎日お給仕しておる娘に言いつけて、今日お昼のお膳を下げたら、離れの和尚にひとつしっかりと抱きついて、
『正恁麼の時、如何――こういうときはどんな気持ちですか』
と、いっぺん聞いてみい、とやった。娘が言いつかったとおり、坊さんにしっかりと抱きついて、『正恁麼の時、如何』と言うたら、坊さん、すずしい顔をして、『枯木寒巌に倚って、三冬暖気無し――寒い岩の上に枯木が立ったようなもので、何ともない』、こう答えた。なかなかえらい坊さんだと思います。ちょっとやそっとの修行ではそういうことは言えません。『枯木寒巌に倚って、三冬暖気無し』。
そうしたら婆さん、かんかんに怒っちゃった。こんな糞坊主に二十年もムダ飯を食わしたというので、坊さんをたたき出して、その庵を焼いてしまったというのであります」。
まあ、こういう内容の公案なのですが、無文老師の解説が面白い。
これは、電気クラブという所で、「禅機と電気」とう演題で話されたもので、うまい譬喩です。
「『枯木寒巌に倚って、三冬暖気無し』というのは、いかにもよい境界でありますが、これは電気で申したら停電でございます、電流が通じておらんのです。意識が疎外されております。それならというて、その娘さんにガッと抱きついたら、こりゃ漏電でございます。
禅が枯木寒巌的停電禅であってはこまりますし、また大いに人間性を発揮した漏電禅でも困ります。しっかり被覆された、電流のような意識が、スイッチをひねると同時に、仏の光明となって輝いて、そこで適宜にその娘を済度しないことには禅にならないのであります。
そういう生き生きとした意識が、定着せずに、奔流せずに、また逆流せずに、滾々として毎日新しく流れて、創造的な生活をしていくことが、禅というものでなくてはならないと思うのであります」。
電気屋さん相手に絶妙に禅を説いておられます。
さて、『五灯会元』の仕事ですが、こんな面白い公案ばかりならよいのですが、なかなか難解な文章もあり、苦労しています。
さらになんと、全部の漢字にルビを振るという無謀な試みに挑戦したために、厄介この上ない仕事になっています。
ですが、継続は力なり、今年の晩秋あたりには、刊行できそうです。基本書中の基本書ですので、ぜひ、ご購読をお願いします。なにしろ膨大な文献ですので、読み違いもあるかと思いますが、禅を停電させることはないと思います。漏電して、禅者を感電死させるぐらいの心意気で頑張っています。
(K.N. Wrote)