昨年11月8日、あの著名な禅宗史研究者である柳田聖山先生は逝かれた。
読者諸氏は、先生の生まれ故郷が滋賀県彦根市にある荒神山にある延寿寺という、臨済宗永源寺派の小さなお寺であることを御存知であろうか。
山を少し上がったところにあるこの延寿寺は、現在は柳田先生の御実弟が住職をされておられ、柳田先生の墓塔は、この寺の山面墓地にある。
生前に作られていたというこの墓塔には「海会塔(はいえとう)」と書かれてある。お寺で小僧のうちに亡くなった人達のことを海会というが、ご自身も一度は剃髪して永源寺僧堂に掛搭されたので、ご自身を、この寺の小僧だとお考えになってのことだったのであろう。
墓塔の横には「父母の生まれる前の山の声」というご自身の書による句碑があった。
ツクツクボウシやヒグラシが鳴く晩夏の山を背にしてその句碑は立っている。
大悲呪を一巻お唱えして、供養の線香を手向けさせていただいた。
句碑の裏を見ると、先生は中国のことがよほどお好きであったのであろう。次の様な文章が綴られていた。
「再びの人生は中国の大地で」
もう一度此の人生を
やり直すことを許され
るなら、必ず中国の
大地に生れて、名実
共に祖師たちの末孫
として、禅僧の責を
果たしたいと思う。
二〇〇六年十月
紙屋院 聖山