今年もお盆が近づいてきた。このころになると、中国の西天目山で出会った農民たちを思い出す。
去年の夏、日本で我が家の墓参りを済ませてから、中国浙江省杭州市の西に位置する西天目山へ登った。
目的は、山の中腹にある中峰明本禅師(一二三六~一三二三)のお墓にお参りすることであった。
山頂から少し下ったあたり、中国では珍しい、直径1mほどもある杉(中国名は“柳杉”)が立ち並ぶ森の中に作られた林道をしばらく歩く。登山客の通る山道から鬱蒼と草の生い茂った脇道へ入り、しばらく草を踏み分けて行くと、少し小高いところに、杉樹に囲まれるように中峰明本禅師(一二三六~一三二三)のお墓が現れた。
案内役の地元のおばさんは、わたしが中峰和尚のお墓が見たいといったとき、「めったに登山客は行きたがらないよ」と言いながら、ちょっと嬉しそうな顔をした。
あとで聞くと、ガイドを副業にしているこのおばさんは、地元の農民で、小さいときからこの山を駆け巡り、林道から少し離れた中峰和尚の墓塔のある広場は、格好の遊び場であったそうな。
さらに、地元の人たちにとって、この西天目山は代々ご先祖さまが大切に守ってきた聖地で、毎年、盂蘭盆会の時期になると、家族の代表者が山へお参りに登るということだった。
山麓の登山口近くで旅館を開く農民も、今年は息子が町から帰ってきてくれたので、山へお参りに行くことができたと、嬉しそうに語ってくれた。
都会では、盂蘭盆会のことを知っている中国人に会うことは、めったになかったので、この農民たちのことは印象深く記憶に残っている。
中峰和尚は、宋末から元にかけて活躍し、日本からの留学僧がその教えを受け、帰国後も中峰の教えを広めた。中峰和尚の語録『中峰広録』は、鎌倉時代から江戸初期頃まで、日本の仏教に大きな影響を与え、その教えを受け継ぐ児孫たちを「幻住派」と呼ぶ。
昨年夏に完成した『通玄和尚語録』の通玄法達和尚の言葉にも、「幻住」の教えがしみこんでいた。「雲霧茶」の名で有名な地元特産のお茶を育むこの山の霧は、あたり一面を包み込み、その中に吸い込まれるよう衝き立つ杉林を見上げると、「幻住」を思い出す。
中峰和尚の住した庵を「幻住庵」と呼ぶのだが、そういえば、山腹に「天目幻住庵山荘」という名の食堂があった。
(Y.K Wrote)