“真実不虚”の布施

丹波篠山

「和尚、お経ばかり読んでおらんと、年寄りを遊ばせるのも、和尚の仕事やで」と、檀家総代から言われたのは、自坊へ入寺して、1年ほど過ぎた時だった。住職になってから間もなく、“年寄りを遊ばせる”という意味がよく分からず、ポカンとしているわたしへ、その総代は言った。「年寄りを集めて説教でもせんかい」と。
“説教” まだ40歳そこそこの若僧が、60・70・80の、じいさん、ばあさんに、何の“説教”ができるか。波瀾万丈の年月を乗り越えて来られた、人生の大先輩である。わたしは、正直にそう言って、「説教はできませんが、『般若心経』の文字の講釈ぐらいなら、どうにかできます」と告げた。すると総代は、「それでいい、何でもいい」と、言い放った。わたしには、“どうでもいい”というような雰囲気に聞こえた。
それから、「お布施はどうする」「お布施はいりません」「そりゃ、いかん」「いえ、結構です」「そりゃ、いかん」と、押し問答が続いた。「それじゃ、お茶と菓子代で、ひとり、百円持って来て下さい」と、わたしが言うと、「オッ、分かった。それでダ、その話は、お寺でせんといかんか」と、総代は尋ねた。かりにも坊主が、『般若心経』の講釈をするのだ、お寺以外の、どこでするのか。わたしには理解できなかった。またもやポカンとしているわたしへ、総代は言った。「あの坂は、年寄りには難儀や。下の公民館でやってくれ」。なるほど自坊は、かなりの高地にある。わたしはスンナリ、「いいですよ、公民館でやりましょう」と承諾した。
そういうことで、毎月1度、第1月曜日の夜8時から2時間の予定で、わたしの講釈は始まった。なぜ、夜の8時なのか。自坊のある小さな農村は、ご多分にもれず、3チャン農業で、60・70・80の、じいさん、ばあさんは、現役の仕事人だからだ。


初日、じいさん、ばあさんたちは、わたしが立っている前の机の上に、ひとりひとり、百円玉を置いて行った。みんな、ゴツゴツしたいい手だ。講釈が始まる時には、37枚の百円玉が並んだ。40戸の村なので、出席率はかなり良好だ。「摩訶般若波羅蜜心経」。「摩訶」は、大・多・勝などの意味ですよ、「般若」は、智慧という意味ですよ、「波羅蜜」は、彼岸に到るという意味ですよ。山田無文という和尚さんは、「偉大なる智慧の真理を自覚する肝心な教え」と訳されてますよ……と、講釈は進み、じいさん、ばあさんが理解できているのかどうか、わたしには分からなかったが、「マア、何でもいいか」と、とにかく、初日の講釈は終わった。
すると、くだんの総代がやって来て、「この金、ちょっと預かるゾ」と言って、37枚の百円玉を、ズボンのポケットに入れて持って帰ってしまった。お茶とお菓子は、寺会計を預かっている総代から出ているので、その37枚の百円玉は、寺会計に入るのだろうと思って、わたしは、何も言わなかった。
翌朝、朝課が終わった頃に、その総代が、寺に登って来た。「和尚、ゆうべはご苦労さんだったなあ。みんなも喜んでおった」と言って、のし袋をわたしに渡した。「何ですかこれ」と、わたしが尋ねると、「ゆうべのお礼じゃ」と言って、総代はすぐに帰って行った。そのあと、のし袋を開けてみると、中には、きれいな千円札が4枚入っていた。
総代が300円足してくれたらしい。その気持ちは有り難いが、どうせいただけるのならば、わたしは、あの37枚の百円玉を頂戴したかった。あの37枚の百円玉こそが、“真実不虚”の布施と思えたからだ。