今年もお盆の季節がめぐってきた。
八月十五日前後の日本が、なんとも言えない不思議な雰囲気に包まれるのを感じるのは、私だけではないであろう。これは、終戦記念日も含めて、日本が、死者とともにその数日間を生きるからに違いない。
田舎出身の私にとって、祖母とともに盆棚の飾りつけをしたり、迎え火を焚いたりしたことは、しみじみとした忘れられない思い出になっている。その祖母も、数年前に死んだ。
早くに死んだ祖父の戒名の横に、真新しく彫られた祖母の戒名を見たとき、ふと思った。 「ああ、祖母が先に通ってくれたのだ。死出の道を。私も将来、誰も通ったことのない道を行くわけではないのだ」
人は死ぬときは一人だ、誰も身代わりになることはできない。そういう実存的な考え方に支配されていた私を、不謹慎だが、妙な安心感へ導いてくれたのを憶えている。
思えば、祖父母も、その父母も、そのまた先祖たちも、同じように死出の旅路を通っていった。そして我々の先祖もこれまた同じように、死んだ先祖が帰って来ると信じて、この行事を愚直に何百年と繰り返してきたのだ。
昔の人は孤独であっただろうか。孤独であったとしても、よるべき共同体のない現代人とは、また違ったものであったのではなかろうか。
(T.F Wrote)