山寺のある一日 -その1 犬小屋で経を読む-

山寺のある一日

あれは、わたしが、この山寺に入寺してから、間もない法事の席であった。ある檀家さんのお爺さんの三周忌の法要である。お葬式は、先住さんがなされ、先住さんの遷化後、一年を経て入寺したわたしには、そのお家のことは、何もわからない。しかし、法事は、厳粛に勤めなければならない。わたしは、改良衣と呼ばれる簡易な法衣で、そのお家に赴いた。
通常の挨拶をすませ、改良衣から正式の大衣に着替えをしている間、一人の、十七、八歳くらいのお嬢さんが、シクシクと泣いている。こんなことは滅多にない。田舎の法事は、もう、お祭りである。お酒が飲めて、普段は口にできないご馳走をいただく。集まる親戚などは、お祀りではなく、文字通り、お祭りなのである。しかし、そこに、ほとけさんに対する畏敬、崇拝の念がないのではない。たくさんお酒を飲んで、ご馳走を食べるのが、ほとけさんに対する御供養なのである。坊主は、それをリードしなければならない。そのような田舎の法事である。わたしは、感心に思った。「このお嬢さんは、よほど、お爺さんに可愛がられたお孫さんなのだろう」と。


仏間での、数十分の読経が終わった。そこで、わたしは、そのお嬢さんに尋ねてみた。お嬢さんは、読経の間、ずっと泣いていたのだ。背中に目がなくとも、そのくらいのことはわかる。それが、プロの坊主だ。
「そんなに、お爺さんのことが、悲しい?」と。
しかし、お嬢さんは何も答えない。相変わらずシクシクと泣いている。すると、そのお父さんらしき人が、気まずそうに答えた。
「いや、和尚さん、そうじゃないんだ。実は、この子が可愛がっていた犬が、今日の朝に死んだんだ。それで、こうやって、ずっと泣いとる」。
なるほど、これで謎はとけた。
詳しく聞くと、この父娘は、ずっとその家にいるのではなく、一人暮らしのお婆さん、つまり、このお爺さんの連れ合いさんが、その犬の面倒を見ていたらしい。しかし、犬は今朝死んだ。お婆さんは、とりあえず、村役場に連絡して、処理?をした。朝、お婆さんの家に来て、犬の死を知った孫は、悲しくて堪えられず、お婆さんを責めた。そして、わたしが見た光景になったらしい。
涙を拭いている娘を見ながら、そのお父さんは言った。
「和尚さん、その犬のために、お経を上げてもらえんか」と。
もう、まわりの親戚はアッケにとられている。いや、なかば、ヘキエキしている。それはそうだ、居士霊位の三周忌である。なぜ、犬の法要をこれからやるのだ。お酒を飲む時間が遅くなるではないか。そんな雰囲気である。
わたしは、お嬢さんに言った。
「ここは、仏間だ。ここで、犬のためにお経を読むことはできん。その犬小屋で読む。それで、いいか」と。
すると、お嬢さんは、ウンとうなずいた。
そういうことで、わたしは、犬小屋で、“大悲心陀羅尼”を読むことになった。お嬢さんは、花と線香を手向けた。お婆さんは、終始、わたしに、すまなそうに、頭を下げていた。
その日の会食の席は、まったく複雑な雰囲気であった。三周忌の法事なのか、犬の葬式なのか。お嬢さんだけが、はればれとした笑顔に戻っていた。そんな席上、親戚の筆頭格みたいな人が、少し眉間にシワを寄せて言った。
「和尚、仏間で読んでもらわんだけでもよかった」と。
わたしは、お酌をしてもらった杯を乾しながら、
「ハァー」とだけ答えた。
法事の会食などとはすでに呼べなくなった酒宴は数時間続き、わたしは、やっと、山寺に帰った。法衣を脱ぎ、お茶を飲み、酔いを醒ましていると、例のお父さんとお嬢さんが、寺に登って来た。これは、正直に言って迷惑である。もう、誰とも話をしたくない。それほど、山寺の坊主は、檀家さんと密着するのだ。
「和尚さん、これ、少ないけど、お布施です」
と、お父さんは、金封を出した。
「いえ、お布施はもういただいております」
「いえ、これは、犬のお布施で……」
「そんなものはいりません」
「いえ、娘が、小遣いから出したもので……」
そこで、わたしは、お嬢さんを見た。すると、彼女は、いとも愛らしい笑顔でうなずいた。それを見たわたしは、
「はい、わかりました」
と、すぐに、その金封を頂戴した。ありがたかった。
これはもう十年前の出来事である。その犬は、成仏できたであろうか、犬に仏性はあるのだろうか、などと、余計なセンサクはやめておこう。あのお嬢さんの笑顔は、まさに仏心であった。
彼女も、今では一人の男児を育てる母親である。お婆さんの家に帰ると、真っ先に山寺へ登り、「いっしょにご飯たべよう」と、わたしの手を取ってくれる。わたしは、「オォー」と言いながら、その手をほどき、お婆さんの家へ、ご飯を頂戴に行く。今、彼女のお腹には、女児が、「もうまだ?」と、その誕生を、みずからうったえている。
いやいや、やれやれ、山寺の暮らしも、そう、すてたものではないのである。