毎年この時期に行なわれる地域の交流を深めるための行事に協賛して、その体験活動の一つに、自坊での坐禅会を組み入れてもらっている。
自坊の檀家さんの子供たちではないため、今まで坐禅などには縁のなかった子供たちとその保護者の人達を対象としている。
他の行程もまわるため、お寺ではたった1時間しか時間がない。なかなかじっくりとした坐禅会とはいかないのだが、まずは子供たちに、ふざけてはいけないこと、まじめに取り組むことという雰囲気を与えなければならない。
今年は大人と子供あわせてちょうど40名。まずは靴をきちんとそろえてあがる。靴下を脱いで、座布団の上に正座して、荷物は自分の後ろに整然と並べる。
たったこれだけのことでも、なかなか時間がかかる。
最近の子供たちは、家で正座するなどということは皆無なのではないだろうか。
しかし、お寺という彼らにとっては異種な空気の中で、ちょっと和尚さんにビシッと言われると、案外まじめに対応してくれるようだ。
20分ほどかけて、坐禅の形、呼吸の仕方、呼吸を数えることに集中してみること、などを説明し、引磬と柝の合図で、いよいよ坐禅の開始である。
私が子供の頃にも、あまりのまじめな空気に耐えられなくて、プッと吹き出してしまう奴もいたが、今も同じ。もちろん私に「こらっ!!」と一蹴されてその後は静かになった。
たぶん、こういう空気の中で静かに坐っているということは生まれて初めてであろう。
警策の受け方も説明しておいたら、自ら受けたいと合掌する子供が5名。一緒について来ている大人の方が存外意気地ない。
短い時間ではあったが、子供たち、そしてその親たちが、少しでも自分を見る事、心を浮かせないでいるよう努力することを知ってくれたら嬉しく思う。
事後のアンケートを読むと、その後にあった風船でのイベントの方が楽しかったらしく、ほとんど坐禅についての感想がなかったのがいくらか寂しいが、それでも「こんな子供の姿を初めて見た」という親の声、「警策はあまり痛くなく、かえって気持ちよかった」という子供もいたことに心をよくした次第である。
坐禅をして何かを期待するのもおかしな話だし、ましてや坐禅をさせて人を育てるなどというのもおこがましいが、地域をあげてのこういう活動の一つに、坐禅会が組み込まれているうちの街も捨てたものではない。