日本で一番長い名前の郵便局である「石見銀山大森郵便局」。
今回の出雲行の最後の目玉が、ここ岩見銀山遺跡である。
今年から、世界文化遺産の一つに「石見銀山遺跡とその文化的景観」が登録され、関西の駅や電車などでも広告が目立つようになった。
鎌倉時代に発見され、室町時代~明治時代までと永きにわたって銀を産出してきた場所であり、特に戦国期には、大内氏→尼子氏→毛利氏と領有がうつり、秀吉の朝鮮出兵の際の戦費にも利用されたようである。また、ここでの銀精錬方法が産出量を伸ばすことに優れていたため、その後の日本各地の鉱山技術の基礎になっているとされる。
間歩(まぶ)と言われる銀を掘り出すための坑道が600も残ると言われているが、そのうち、公開されているのが「龍源寺間歩」という一カ所のみである。間歩の中は、鑿(のみ)の跡が残る坑道が続く。ここを今のような機械の力を借りず、人力で掘り進み水を吸い上げ、銀を掘り出していた往時を考えると、きっと多くの犠牲者もいたことだろうと容易に想像がつく。
この龍源寺間歩は、この遺跡エリアの一番上部にあり、その裾にはこの銀山経営を支えてきた町並み、大森地区がある。
町の景観を壊さないための配慮であろうが、自動販売機までこの気の使いようである。
つづく・・・