第4回“禅と文化の旅”その1はこちら
後ろ髪ひかれる思いで円照寺を後にし、昼食の為、菊水楼へ。
文化財にも指定されているという立派な建物に皆の心も踊り、秋の味覚を堪能しました。
昼食を終えてバスに戻ろうとすると、見送りをするかのように立派な男鹿が。
関西に住む者、ことに奈良をちょくちょく訪れている者にとっては何ら珍しくない鹿も、その他の地域から来られた方には非常に珍しいようで、しばし撮影タイムとなりました。
目にも楽しく美しいお料理でした。
大和文華館へ。四季折々の花が咲く道を行きます。
まずは、特別に学芸員の方より大和文華館創設のあらまし、そして今回の「大倉集古館所蔵 江戸の狩野派-武家の典雅-」を観るにあたって、狩野派についてのお話をしていただきました。
日本画の変遷を知り得た後の鑑賞は、何も知らずに観るのとはまた違い、興味深く拝見できました。
酔芙蓉でしょうか。長く咲き続ける花ではありますが、盛夏の花というイメージです。秋に入っても美しく咲き続けていました。一方、庭の萩は既に見頃を終え、散りかけて…。地球温暖化のせいか、日本らしい花々も季節がわからなくなってきているのでしょうか。
惠信先生、美術館をスケッチ中です。
素敵なスケッチです。今回は見て描いているので大丈夫です。
さて、皆様のご協力のおかげで、スケジュールどおりに無事行程を終える事ができました。
誠に有難うございました。
このような旅がさせていただけるのも、まずは訪れる先の方々のご理解とご協力があっての事。
“禅と文化”の旅では、普段拝観できないような所も特別に拝観させていただく事が多々あります。
今後もマナーを守って、受け入れて下さる寺院や美術館などの方々の御厚意に応えたいと思っております。ご協力お願い申し上げます。
次回“禅と文化”の旅は、来年の新緑の頃を予定しております。
詳細が決まりましたらこちらのブログでもご案内申し上げます。どうぞお楽しみに。
長くなりますが、最後に今回の惠信先生の講演のレジメです。ご参考までに…。
-講話「圓照」ということについて-
禅文化研究所長 西村惠信
「円照寺」という寺号は、大乗仏教でもっとも大切な「大円照智」に由来する。これは『摂大乗論』(大乗仏教の教えを総括したもの)などに説いている「大円鏡智」と同じものである。
「大円鏡智」とは、仏(悟りを開いたもの)の「四智」の一つである。大乗仏教で、悟りの智慧の素晴らしさを鏡に譬えて説いたのである。わが白隠和尚は「坐禅和讃」のなかで、さらにこれを鏡のような月に喩え、「三昧無碍の空広く、四智円明の月冴えん」と讃われている。
Ⅰ、では「四智」とは何か。
大圓鏡智(無に徹する)
平等性智(差別しない)
妙観察智(ありのままに受け入れる)
成所作智(前にあるものだけを写す)
Ⅱ、「三昧無碍」とはどういうことか。
三昧(雑念のないこと)、
無碍(こだわりのないこと)
Ⅲ、「空」(くう)とは何か。
空っぽではない
虚空のように大きくて眼に見えないもの
大空のようにすべてを包み、育くむもの
Ⅳ、「月」はなぜ美しいか。
闇を照らすから(松蔭の 暗きは月の 光かな)
まん丸いから(天台宗で、空・仮・中の三諦円融なことを円妙という)
清らかであるから(『楞伽経』に、「菩薩清涼の月、畢竟空に遊ぶ」と説く)
明るく輝いているから(「名月は 馬も夜道を 好みけり」)
爽やかであるから(『人天眼目』に「清風名月を払い、名月清風を払う」という)