寺の大樹

遠くから見た欅

うちの寺の境内には樹齢二百年は下らないと思われる大きな欅(けやき)があります。
秋になると、それはもう尋常ではない落ち葉で、毎日掃除におおわらわの、掃除だけを思うと迷惑な樹です。
ところが、ここ十年くらいでだいぶ弱ってしまいました。枯れ枝も多くなり、樹に元気がありません。
ちょうど、この樹を売って欲しいという業者さんが来られるようにもなりました。伐らないと枯れてしまうと。
枯れてしまったら何の値打ちもないとおっしゃいます。
そこで、枯れ枝が落ちて山門や鐘楼にでも落ちたら困るし、閑栖和尚や、総代さんたちとも相談して、今のうちに伐って売ってしまおうということになったのです・・・。


そして、ある業者さんとの商談となって、伐り倒して運びだしてもらって、それでも某かのお金が入ってくる算段になりました。
でも、ちょっと事情が有って、伐採を予定していた日にちが伸びたのです。
その間に私の心の中で、「伐って売ってしまってはダメだ。樹に申し訳がない」という気持ちがわきおこってきました。私たちはたかだか数十年しかここにいないが、この樹は、この寺の歴史をずっと眺めてきてるし、大風の防風にもなってくれていたに違いないのです。
そこで、いつもお願いしている寺社大工さんに相談したところ、この樹なら、そもそも、もっと大金で売れるはずだし、それよりも、売ってしまわないで、本堂の濡れ縁にでも使うように建築用材として残した方がいいと・・・。
某かのお金になるより、私はその方がずっと気持ちいい。そういって、伐採代金の拈出を総代さんに頼み込んだのはいうまでもありません。
今思うと、事情が有って伐採が遅れたのは、ご本尊お薬師如来の霊験かもしれませんね。
お蔭さまで、この大樹は形を変えて、寺に残ることになりそうです。
(E.N. wrote)

寺を見守ってきた欅