『大般若経』の転読を見るのは心地よい。禅寺でも正月などに行なわれるなじみ深い行事だ。僧侶が分担して一巻づつ経題を唱え、経本を両手で捧げ持って広げる。すると、高い方から低い方へ、カラカラと軽快な音をたてながら、まるで生き物のように経本が流れ下って行く。参詣者の間をぬって「大般若の風」もそよぐ。
『大般若経』600巻は唐の玄奘三蔵が翻訳したものである。仏典の中では最大の分量を誇る。日本でも呪的効力が極めて強い経典であると認識され、奈良時代から攘災招福・五穀豊穣のために盛んに読誦がなされてきた。
しかし、なにぶん大部なものであるため、転読という方法がしばしば取られた。転読とは、経の題のみ、あるいは初・中・終の数行のみを読むことを言う。ちなみに、経典の全てを読むことを真読という。
前々から疑問に思っていたことがあった。現在の形式の転読は折本でないと出来ないのである。中世以前の大般若経が巻子本(巻き物)であったことは、書誌学では常識に属する。いったい、どのような形で転読が行なわれていたのであろうか。
しかし、同じような疑問を持つ人は結構いるらしい。古い『大般若経』の調査をしている知り合いから、「こんな論文がある」と教えてもらった。(つづく)