杭州では、西湖のさらに西にある霊隠寺(れいいんじ)も訪ねた。
このお寺は、東晋の時代(326年)にインドの僧・彗理が創建したもので、1600年以上の歴史がある古刹である。
全盛のころに比べると縮小はしているようだが、それでもかなり大きなお寺である。
また沢山の人たちが参詣に訪れ、香をたき、仏前で五体当地の礼拝をしている。
山門をとおると、まずは有名な飛来峰である。岩壁には300を超える数の石仏が彫られている。
これは五代から宋代、元代までに彫られたもので、独特の風格があり、とても精緻で美しい。
いま中国では、仏教信者が増えてきているという。
文化大革命の時に風前の灯となってしまった仏教寺院だが、今、この信仰深い信者の手によって、どんどん再興されていっている。この霊隠寺もあちこちで工事をされていて、改築されていっている。
写真のような美しい細工も、まだ新しい様子だ。
余談だが、これらの大寺院の住職が若いことにも驚く。霊隠寺の住職は知らないが、あの有名な名刹・栢林寺の住職はまだ30代である。この世代の人たちが、中国の名だたる寺院の住職に入っているそうであるのは、中国佛教教会の力によるものだろうか。
さて、この霊隠寺にいた有名な僧侶に済顛道済(通称・済公)という人がいる。碧巌録の円悟克勤の孫弟子にあたる宋代の高僧であるが、酒肉を好むたいそうな変わり者だったようで、日本で言えばさしずめ一休さんのような人とでも言おうか。
実はこの済公和尚の伝記を、同行している李建華さんがあの水上勉氏とともに邦訳されたものが、季刊『禅文化』139号から連載されていたのをご存じだろうか。